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裁判の不思議   ~はじめに~

05/09
このコーナーでは、法律・裁判に関して全く素人の私が、国家賠償訴訟を体験して感じた素朴な疑問・感想について、思いつくままにお話していきたいと思います。

※ 第1回目のテーマは、『最高裁判所は、本当に裁判資料を読んでいるの?』です。

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最高裁判所は 本当に裁判資料を読んでいるの? ~裁判の不思議~

05/09
二審判決では、私の主張の趣旨をねじ曲げたものを判決理由として書かれていたため、上告受理申立理由書で、その部分の訂正を求めたわけですが、なぜ訂正されることなく、上告不受理になってしまったのかっていうことが、最初の疑問です。

最高裁は、法律審であるから、憲法違反や判例違反など、それなりの理由がなければ、上告を認めないことはわかりますが、現在、私の刑事告訴を受けて検察庁が取り調べていることからも、最高裁も、二審判決にはかなりの違法性があることを認識できたはずであるのに、なぜ上告不受理になり、その判決が確定してしまったのかということです。

その理由として、次の3つのケースが考えられと思います。

ひとつ目は、
かなり飛躍した考えかもしれませんが、私が上告受理申立理由書で判決理由の矛盾を突くなど、かなり批判的に書いたものだから、もしかしたら、そのような部分を削除したりとか加工して最高裁に送られたのではないかという疑い。

ふたつ目は、
最高裁が、裁判資料をよく読んでいないために、書かれている内容が伝わらなかったということ。

三つ目は、
最高裁が、裁判資料を見て二審判決の違法性に気がついていながら、最高裁もまた行政に有利な偏った判断をしてしまい、上告不受理で処理してしまった可能性。


私は、刑事告訴をするにあたり、その前に正確な事実関係を把握しておく必要があると思い、上記の一つ目の疑いを調べるため、今年1月初め、最高裁から戻った裁判資料を確認しに、福島地裁いわき支部に行ってまいりました。
もちろんですが、裁判資料の改ざんとか、そういうことは全くありませんでした。
資料を調べていくうちに、高裁が、国側に和解を打診するアンケートを送っていたことなど、私の全く知らない資料の存在を知り、ちょっと驚きましたが・・・・・

ところが、それよりもっと驚いたことは、私が提出した上告受理申立理由書が、提出したときの状態のまま、つまり、用紙をほとんどめくった様子がないままファイルに綴じられていたことでした。
たとえば、届いたばかりの誰も読んでいない新聞などは、紙が平坦で細かい起伏などもなくピーンとしていて、重ねた時に空気が入り込む余地もないくらい密着していますが、一度でも読んだものは、紙に細かい起伏ができてがさ張り、すぐにわかりますよね。
地裁や高裁宛に提出した控訴理由書などには、紙の状態から、確かに書面が読まれたという痕跡が確認できましたが、最高裁宛に提出した書面からは、そのような痕跡が全くといってよいほど感じられませんでした。
最高裁に提出する書面は、相手方(被上告人)が一人でも同じものを8通提出しなければならないので、その中の誰も読んでいないものがファイルされている可能性もありますが・・・・・

もうちょっと客観的な観点から考察しますと、
最高裁に上告されてくる民事事件は年間約三千件、刑事事件は約二千件、前年から繰り越される事件も民事刑事合わせて約二千件、これらを15人の判事と三十数人の調査官の補佐で処理するらしいのです(読売新聞社会部著 『ドキュメント裁判官』参照)。
最高裁の裁判官だからといって“スーパーマン”ぶりを発揮できるとは、到底、考えられません。
常識的に考えれば、これだけの件数の資料を、この人数で精査すること自体、物理的に不可能に近いと思いますが・・・・・

裁判を受ける側としては、最後の望みをかけて最高裁に臨んでいるわけですから、納得のできるシステムに改善していただきたいと思っています。

ということで、ふたつ目の可能性が極めて大きいとは思いますが、これと相反する上記の三つ目の可能性も捨て切れません。

といいますのも、「二審判決には、私の主張と違うことが書かれているので絶対に訂正していただきたい。」と最高裁に抗議の電話をした際のことですが、こちらは事件番号を言っただけで詳しい内容を話したわけではないのに、向こうが「そのことについては、・・・・です。」といった具合で、数多くある事件の中、なぜ知っているのかなという疑問を持ちました。
このような抗議はよくあるケースで、対応に慣れているということも考えられますが・・・・・



 でも、やっぱり最高裁は、すべての事件の資料をよく読んでいない(精査していない)。
読みたくても(精査たくても)物理的に不可能だと思います。



どうして裁判所は、一方の観点から検証しただけで安易に結論づけてしまうの?

05/29
私の国家賠償訴訟においては、 『裁判の概要と裁判官を刑事告訴するに至った経緯』で、お話しているとおり、判決は一審、二審ともに同じであるにもかかわらず、判決理由は、一審、二審で全く別の観点から結論づけられました。

それでも、仮に、二審で新たな証拠が提出されたとか、全く新しい主張がされたというのであれば、一審、二審で判決理由が異なってしまうようなケースが生じる可能性は十分に考えられます。
ところが、私が二審で提出した書面は、一審での主張を補足したにすぎない控訴理由書のみ、被控訴人である国の答弁書も 「控訴人の主張は、結局のところ、原審での主張の繰り返しにすぎないが、原判決における証拠採用に違法がないこと及び事実認定が相当であることは明らかであり、原判決に何ら違法はない。」と、ほんの数行の反論のみ、もちろん双方から新たな証拠の提出などはありませんでした。
それにもかかわらず、
どうして一審と二審の判決理由が、大きく異なってしまったのでしょうか?

その最大の原因は、裁判所が、事件を、一方の観点からしか捉えておらず、他方の観点からは、全く検証していないことにあると思います。

ここで、私の裁判のケースを、あるわかり易い例にたとえて説明してみたいと思います。

たとえば、南側の斜面は富士山のようななだらかな円錐型、北側の斜面は断崖絶壁の険しい山があったとします。

国側は、山を南の方角から眺め、
「この山は、山全体が、円錐型のなだらかな山ですよ。」
と主張します。


一方、私は、北の方角から山を眺め、
「この山の北側は、断崖絶壁の険しい山なので、全体が円錐型のなだらかな山ではありません。」
と、証拠である上空から撮影された写真を見せて主張します。


ところが、一審の地方裁判所は、国側が主張するように、南側からのみ山を眺めて、証拠の写真も検証せずに、
「国が主張しているように、この山は、全体がなだらかな円錐型です。」
と結論づけます。


そこで、私は控訴し、
「もう一度、よく証拠を確かめてください。」
と言います。


二審の高等裁判所は、一審において地方裁判所が眺めた位置より、30度ほど東寄りの位置から山を眺め、
「東側の山の稜線が、多少デコボコしていますが、背丈の高い樹木のせいですよ。上空から撮影された写真も、北側がゴツゴツしているように見えますが、これは、多種類の樹木が混在して自生しているせいです。ですから、この山は、全体がなだらかな円錐型なのです。」
と、無理な理由付けをし、決して北側から山を眺めようとはせず、再び誤った結論を下します。


もし、裁判所が、北側からも山を眺め、しっかりと検証をしていれば、このような過ちを犯すことはないはずです。


そもそも、私の国家賠償訴訟は、 『裁判の概要と裁判官を刑事告訴するに至った経緯』でお話しているように、“結論(判決)が先行しての判決理由であった”、つまり、国が勝訴するように、裁判所が意図的に採用する証拠をコントロールした(上記の例では、意図的に北側から山を眺めようとしなかった)のではないかと受け取れますが、このようなことが、いとも平然と行われ得る裁判所の体質にこそ問題があると思います。

私の国家賠償訴訟では、“ひとつの角度(観点)から検証して問題がなかったから、別の角度(観点)からは検討してみる必要はない。”というような手法のもとに判決が導き出されています。

仮に、このようなことが医学や自然科学の分野で行われたとしたら、それは、重大事故を引き起こしかねません。
医師の医療行為の際の判断ミスは、患者の生命を脅かします。機械や建造物の材質や設計の誤りは、大事故を引き起こしかねません。試薬の量や種類の調合ミスなどは、時として想定外の反応が起こり、思わぬ危険な化合物の生成や爆発の危険を伴います。ほかにも挙げたらキリがありません。
ですから、このような仕事に携わる人たちは、あらゆる角度から十分な検証を重ね、細心の注意を払って結論を導き出すことは当然のことなのです。


ところが、裁判はといいますと、刑事裁判の死刑判決ぐらいは、直接被告人の生命に影響を及ぼすことはあっても、とりわけ民事裁判の損害賠償請求などは、被害を受けた当事者にとっては、その後に生活にかかわる重大なことであるにしても、損害がどの程度補償されるのかどうかの違いぐらいで、直接被害者の生命を脅かすようなことはありません。

つまり、裁判が、生命を脅かすなどの危機的状況からかけ離れた問題解決のひとつの手段であるにすぎず、誤った判断をしたところで、それほど重大事件として世間から非難されることもなく、問題視されることもほとんどありません。ですから、そのようなことが、裁判所の事件に対する真摯さの欠如、検証の甘さを誘発し、裁判官の主観が入り込む余地を増幅させ、私の裁判のように、手持ちの証拠も判決(結論)も全く同じであるにもかかわらず、判決理由だけは、どうにでも変えられてしまうというようなことが起こり得るのではないでしょうか。

 MY OPINION
とりわけ民事裁判においては、裁判が、直接当事者の生命を脅かすなどの危機的状況とは無関係の単に問題解決のひとつの手段であるにすぎず、そのようなことが、裁判所の事件に対する真摯さの欠如、検証の甘さを誘発し、裁判官の主観が入り込む余地を増幅させているのではないでしょうか。

最高裁判所はヒラメ養魚場の親分! ~上告受理申立理由書を公開することの意義~

06/20
明暗を分ける上告受理申立理由書の運命
上告受理申立理由書(あるいは上告理由書)は、最高裁で口頭弁論が開かれない限り(つまり、二審判決が変更される可能性がない限り)、相手方(被上告人)に、副本が送達されることはありません(民事訴訟規則第198条)。

ということは、私のケースのように、二審判決に違法性や問題等があり、上告受理申立理由書(あるいは上告理由書)で、それらについての訂正を求めたり、批判を主張したとしても、裁判所の関係者以外の目に触れることは全くないのです。
つまり、
口頭弁論が開かれない限り、高裁判決をいくら批判したとしても、それらの主張は、外部の誰にも知られることなく、裁判所の内部で闇から闇へと葬り去られてしまうのです。


上告受理申立理由書(あるいは上告理由書)の副本が送達されないことの弊害
上告される事件の大部分が、上告不受理あるいは書面審査による棄却になっているという現状の下では、口頭弁論を開くために相手方に副本が送達される確率は、極めて低くなります。
ということは、仮に高裁判決でいいかげんなことを書いたとしても、外部から批判されたり、裁判所の判断に疑問を抱かれたりする確率も同様に低くなります。
実際のところ、新聞報道などでも、上告棄却の場合には、ほんの数行の記事となり、上告受理申立理由書(あるいは上告理由書)でどんな主張をしていたとか、こと細かに掲載されることもほとんどありません。


さらに、最高裁に上告される事件の件数と、それらを処理する最高裁の裁判官や調査官の人数とのバランスを考慮した場合、精査される事件の件数も物理的に限られ、つまり、最高裁自身も、極わずかの割合の高裁判決につてしか、妥当性の検証ができないことになります。

つまり、仮に、高裁判決でいいかげんなことを書いたとしても、見つかりにくい構造になっているのです。
ですから、裁判官の人間性を信じるしかないのですが・・・・


それでも、私は、通常の民間人(民間企業)同士の裁判においては性善説を採用し、裁判官の正義のもとに公正・中立な裁判が行われているものと信じたいですし、実際、ある程度は信じていますが・・・・


“ヒラメ養魚場の親分”であるからこその例外
私の国家賠償訴訟が、行政(国)寄りの偏った不公正な裁判であったことは、これまでのブログの中でも、しばしばお話してまいりました。
一審判決の後、なぜそのようなことになってしまうのか、
「裁判が、おかしい!どこか変だ?」
と思い、あれこれ調べまくった私は、どうやら、それは、 “官僚統制されたヒラメ裁判官の仕業である”という自分なりの結論に到達しました。


最高裁判所が、ヒラメ養魚場の親分であるからこそ、一審、二審の裁判所が、あいまいな判断基準の下に、行政(国)寄りの偏った不公正な判決を下したところで、それをとがめることもせず、むしろ歓迎しているのかなあと、私は思っております。


上告受理申立理由書(あるいは上告理由書)を公開することの意義
私のブログも、公開と同時に、日本中はもとより世界中のあらゆる人々の目に触れる可能性があると思うと、その内容には責任を持ち、いいかげんなことを書いたりしないよう常に心がけています。

仮に、上告受理申立理由書(あるいは上告理由書)のように、めったに社会の人々の目に触れることがないと思えば、人間ですから、多忙のせいにしたりして、いいかげんに書いたり、他人に知れたなら恥をかく羽目になるようなことでも、おかまいなしに意図的におかしな文書を作成することも想定されます。

 ですから、口頭弁論が開かれることの有無にかかわらず、上告受理申立理由書(あるいは上告理由書)を相手方に送達したり、インターネット上に公開することは、いいかげんな判決をけん制するためにも、大きな意義があると思います。



検察審査会って裁判所の中にあるけど、本当に大丈夫なの?

09/09
検察の不起訴処分に不服なとき、「不起訴」が適切であったのかどうかの審査を申し立てるところが検察審査会なのですが、検察審査会が裁判所の中にあるってこと自体、私にとっては、とても嫌な感じがしました。
何と言いましても、審査申立書を提出した裁判所の同じ建物の中に、被疑者らも勤務しているわけですから。

それで、検察審査会について調べてみました。
グーグルで検索すると、トップにヒットしたのが、最高裁判所のホームページにある検察審査会のページでした。
やはり、嫌な予感、的中かも・・・・?


検索結果が上位ということは、これが最も有用性のある情報ということになりますよね。
ということは・・・・


調べていくと、やはりそうでした。

不起訴が適切であるかどうかの審査は、国民の良識を反映させるために、選挙権を有する者の中から地域ごとにくじで選ばれた11人の検察審査員で組織されている検察審査会がするそうなのです。
ところが、どうやら、検察審査会が、 ただ単に、裁判所の中に間借りしているというようなものではなく、検察審査会の中に検察審査会事務局というのが置かれていて(j検察審査会法19条)、その検察審査会事務官は、裁判所事務官の中から、最高裁判所によって命じられるそうなのです(検察審査会法第19条)。


そして、検察審査会法によれば、「検察審査会事務局長及びその他の検察審査会事務官は、検察審査会長の指揮監督を受けて、検察審査会の事務を掌る。(第20条4項)」ということなっており、検察審査会の権力が絶大であるかのような印象を受けるのですが・・・・・

果たして、突然くじで選ばれ、勝手も知らない任期6ヶ月の検察審査員が、実際にそのような権利を行使できるのかどうか、とても疑問ですね
大臣と官僚の例もありますし・・・・

一応、検察審査会が、検察と距離を置いているということはわかりますが、私の告訴のケースのように被疑者が判事で、しかも、最高裁の判事までが被疑者になっているわけですから、身内の事件を身内が扱うというよりは、自分が自分の事件を扱っているような感じを受けるのですが・・・・

私は、これまでの裁判での体験から、どうもこの日本という国は、民主国家を謳いつつも、官僚にあやつられた最高裁という巨大モンスターに支配されているように思えてならないのですが・・・・・
このように思うのは、私だけなのでしょうか


ちなみに、起訴するかどうかの最終的責任を負っているのは検察官で、検察審査会の議決には、拘束力がないそうなのです。
そのようなわけで、それでは民意が反映されないという批判もあり、検察審査会法が改正されるらしいのです。


それによれば、検察審査会の起訴相当の議決に対して、検察官が起訴しない場合、検察審査会は、再度審査を行い、審査会が起訴すべき旨の議決(起訴議決)をしたときには、検察官の判断にかかわらず、強制的に起訴されるという起訴強制の制度が、平成21年5月までに導入される予定だそうです。
(最高裁ホームページより)


 ホントにそうなって欲しいものです。


「裁判所の後始末なんか、御免だね!」  ~これが検察の本音じゃないの?~

09/15
一見すると何の関連もないようなことがらが、一瞬のひらめきで強固にリンクし、問題が解決することってよくありますよね?

私は、裁判での立証も、この“ひらめき”により、だいぶ助けられました。

そして、それは、一生懸命考えているときには全然思いつかないのに、そのことから離れて頭の中がリラックスしている状態のときに、突然ひらめいたりしますよね。

私のつい最近のひらめきによりリンクしたのが、次の三つのことがらです。

 裁判官らを刑事告訴してから不起訴処分の通知書が届くまでのおよそ半年間、
  検察からは、事件のついての問い合わせや事情聴取など、一切ありませんでした。
  検察は、立件はしたものの、当初から起訴する気がなかったのではないかと、
  私は思うのです。


 不起訴処分の理由を聞きに仙台地検を訪れたときのことですが、
  不起訴処分の理由は「嫌疑なし」ということだけで、なぜ嫌疑がないのか、検事からは、
  全く説明がありませんでした。

  ただ、その後の対応のことで、検察審査会に不服を申し立てることができるということを
  言われました。
  さらに、私が、裁判が、中立性に欠けていたということを事細かに話したところ、検事は、
  「裁判は、二審だけじゃなく、一審からおかしかったんですね。」と、私の話したことに、
  すんなりと納得した様子でした。
  そして、仙台に来ているので、裁判所の検察審査会に行ってはどうかと、検事は、再び
  検察審査会のことを言ったのです。


 前回のブログでお話したことですが、検察審査会事務局の事務官は、裁判所の
  事務官の中から、最高裁判所によって命じられます。


 ある時、この三つのことがらが、私の頭の中で、ピピッと、一瞬にして結びつきました。

あくまでも、私の仮説ではありますが・・・・

もしかしたら、検察は、私が、検察審査会に申し立てをするように、わざと仕向けたんじゃないかって思ったのです。

つまり、検察が、裁判官を、本来の業務に関することで起訴したなら、大騒動になることは間違いありません。
しかも、最高裁の判事の罪まで問われることになるわけですから、そうなれば、司法の信頼は、根底から揺らぐことになりますし、司法関係者からは、 検察が非難の的にされることも予想されます。
とにかく、非常にやっかいな事態になると思うのです。
それで、検察が、騒動の根源になることは、絶対に避けたかったんじゃないでしょうか?


そもそも、このような事件が起きる背景には、ヒラメ裁判官ほど出世する傾向にあるというような、裁判所全体の歪んだ体質があり、そんな裁判所の後始末なんか、やってられないと思った検察が、最高裁判所の管理下にある検察審査会に申し立てをするように仕向けたんじゃないかって、私は考えたのですが・・・・

裁判所が、検察審査会を通じて、刑事告訴についての情報を得たならば、一応、立件された事件でもあるわけですし、内部の者がかかわっているとなれば、組織としても、何らかの調査なり対応をとらざるを得ない事態になると思うのです。

検察は、“裁判所のことは、自分たち(裁判所)で処理してくれ!”って、そこを狙ったんじゃないでしょうか?

これって、都合のよい勝手な解釈でしょうか
 けっこう、いい線いっているんじゃないかって思うのですが・・・・・


最高裁判所って 処理能力を超えたゴミをどんどん受け入れているゴミ処分場みたいじゃない?

10/05
二審判決で、私の主張が、裁判官によりねじ曲げられて判決理由に記載されたということが、許しがたい犯罪行為であるということは、前回お話しました。

では、なぜ、最高裁判所は、違法な手法によって結論付けられた仙台高裁判決を確定させてしまったのでしょうか

二審判決には、解釈の誤りなど、上告受理申立理由書の中で訂正を求めた箇所がいくつかありましたが、特に、前回のブログでお話した行政関与の記述が完全に削除されている部分については、極めて是認できないこととして、かなりのスペースを割いて強く訂正を求めました。
ですから、最高裁が、上告受理申立理由書に、ひととおり目を通しているのなら、その違法性に気がつくはずだと思うのですが・・・・・


その原因は、 『最高裁判所は 本当に裁判資料を読んでいるの? ~裁判の不思議~ 』 でもお話しているように、次のふたつのことが可能性として考えられます。

 最高裁が、裁判資料を読んでいないので、仙台高裁判決の違法性に気がつかなかった。
 最高裁が、仙台高裁判決の違法性を認識していたが、最高裁もまた行政よりの偏った判断を
   支持し、仙台高裁判決の見直しをしなかった。


今回は、①のケースについて考えてみたいと思います。

最高裁に上告される事件は、年間数千件、特に、民事事件は年間約三千件と、20年前の3倍だそうです( 『ドキュメント裁判官』 読売新聞社社会部著 中公新書 参照)。
これらの事件数と、その処理に当たる裁判官・調査官の数の不均衡を考慮すると、すべての事件を適正に処理することは物理的に不可能であると考えるのが妥当だと思うのです。


この状況って、例えば、処理能力を超えた大量のゴミを、どんどん受け入れているゴミ処分場みたいなものじゃないでしょうか
こんなことを言うと、「神聖なる私の裁判を、ゴミに例えるとは、けしからん」と、怒っている方もいらっしゃるかも知れませんが、中身を例えているのではなくて、状況を例えているわけなので、ご了承ください。


つまり、一部については適正に処理されているけれど、処理能力を超えた部分については、ためておくわけにもいかず、結局、不適切に処理されてしまうということです。

それにしても、なぜ、このような状況が、改善されることもなく漫然と続けられているのかが、私には、とても不思議でなりませんが・・・


私の裁判の話に戻りますが、
最高裁の調書(決定)には、第3小法廷の裁判官5人の氏名が記載されていましたので、形式的に、この5人を、違法な手法で結論付けられた仙台高裁判決を確定させたということで、虚偽有印公文書作成幇助などで刑事告訴したわけですが・・・・
仮に、前述のように、最高裁が処理能力を超えた数の事件を取り扱わなければならないために、裁判資料をろくに読んでいないことが原因であるならば、裁判官個人の問題というよりは、最高裁のシステムそのものに問題があることになり、それに乗っかっているだけの裁判官個人の責任は問えなくなってしまうと思うのです。

ということは、つまり、最高裁が、三審制としての機能を十分に果たしていないということになるわけで、司法を信頼し、最後の望みを託して上告する人々を欺いていることにもなるのです。
すなわち、欠陥のあるシステムを漫然と運用している最高裁の責任が問われることになります。


そうすると、検察により裁判官が起訴されたとしても、結局は、裁く側の裁判所が、「私たち(最高裁判所)が、いけなかったんです。ごめんなさい」なんてことになりかねず、とてもおかしなことになってしまいますよね。

ですから、検察の起訴・不起訴にかかわらず、最高裁が、率先して解決を図るべき問題なのです。


※ 次回は、 前述の②のケースについて考えてみたいと思います。

 ニックネームを、M Minerva にしていましたが、海外からの検索に、けっこう引っかかって
  しまうので “ろーずまりー”に変更しました。
  今後も、よろしくお願いします。


次から次へと噴出する官僚の不祥事、み~んな おかしな裁判のせいなのよ!

10/20
最高裁判所が、なぜ違法な手法で結論付けられた仙台高裁判決を確定させてしまったのか、その原因について、これまで2回にわたって考察してみましたが、一般的な国家賠償訴訟についても共通して言えることは、司法の制度上の問題と、イデオロギーの問題が存在することだと思います。

1 国家賠償訴訟の問題点
(1)制度上の問題
日本の裁判は、三審制を採用しているものの、最高裁が取り扱う事件数と、その処理能力との不均衡を考慮すると、上告しても、適正に処理される事件数は必然的に限定されるものと推測され、そのような状況から、大部分の事件は、実質的に二審判決で完了していると考えられます。
ですから、私のケースのように、二審判決で違法行為や誤った判断があったとしても、ほとんど最高裁で取り上げられることはなく、言い換えれば、二審判決が適正な判断であったのかのチェックがされる機会はほとんどなく、そのことが、恣意的な二審判決を生み出す温床になっていると考えられます。
また、最高裁で口頭弁論が開かれなければ、上告理由書や上告受理申立理由書が相手方に送達されることもなく、そのような法制度が、いいかげんな二審判決が書かれたとしても、外部に漏れることを抑止しているとも受け取れるのです。
さらに、不当な二審判決が、最高裁によって、もっともらしい結論であるかのように確定されてしまうことを可能にしているのが、どの事件にでも当てはまる定型の理由しか書かれていない、つまり、根拠のない上告不受理の調書(決定)なのです。


もっともこのことは、国家賠償訴訟に限らず、私人(私企業)間の民事裁判や、刑事裁判についても言えることだとは思いますが。

(2)イデオロギーの問題
ヒラメ裁判官が、最高裁の意向を察し、国(行政)寄りの偏った判断を下すことは理解できますが、そもそも、なぜ最高裁は、国(行政)寄りの偏った判決を歓迎する必要があるのでしょうか?

国家としての威厳を保つためなのでしょうか?
それとも、国庫から賠償金として支出される都合上、財政上の負担を減らすためなのでしょうか?
個人に支払われる賠償金が、それほど国の財政を圧迫するとは、とても思えませんし・・・・


このことに関して、元判事の生田暉雄氏が書かれた本、『裁判が日本を買える!(日本評論者)』(この本には、ヒラメ裁判官の生い立ちが手に取るように書かれており、ホント、目からウロコでした。)に、その理由について、たいへん興味深いことが書かれていました。
ひとつ目には、治外法権がまかり通り、植民地同様の抑制状態にある沖縄を際立たせないために、本土の権利意識、裁判闘争を抑制するため、そして、ふたつ目は、アジア各地や日本国内の戦後処理問題を押さえるために、裁判を利用しにくくしているのではないかというのが、著者の考えのようです。


2 国家賠償訴訟の形骸化による弊害
(1)欺かれる当事者
国に、どのような事情があるにせよ、私たち国民は、当然、裁判所が公正な判断をしてくれると信頼しているからこそ、多くの時間と費用と労力を費やしてまで裁判に訴えているのです。
はじめから結論が決まっているような裁判であったり、世間の動向や監視の目を意識した裁判官が、マスコミが取り上げ社会的に注目されているような一部の事件ばかりを適正に判断する傾向にあるということを事前に知っていたならば、だれも司法を利用しようとは思いません。
ですから、裁判所が、表面的には公正さを装って訴えを受け入れても、意図的に判決をコントロールしているのであれば、国民を欺いていることになるのです。


(2)行政の機能不全
もうひとつ極めて重要なこととして、このような形骸化された国家賠償訴訟は、裁判所が、行政の恣意的行為や犯罪行為に加担していると言っても過言ではなく、行政の機能不全を引き起こしているということを、私たちは、しっかりと認識しておかなければなりません。

私が、国家賠償訴訟の根拠となった労働基準監督署をめぐる一連の事件を通じ、痛感していることですが・・・・・
行政に過失や違法性があったとしても、その責任を問われることがないことを熟知している行政は、自らの過失や違法性を指摘され、行政自身もそれらを認識しているにもかかわらず、決して非を認めようとはしません。
そればかりか、裁判においても、虚偽の主張を繰り返したり、自分たちに都合のよい証拠を捏造してまで提出をするなど、違法な手段を用いてまで、行政の正当性を主張し続けるというようなことを平気でします。


年金記録の改ざん、汚染米、防衛省の汚職、居酒屋タクシー・・・・
官僚のあきれた実態が、次から次へと噴出してきます。
これらは、すべて、裁判所のゆがんだイデオロギーに基づく、おかしな判決が引き起こしているに違いないないと、私は確信しています。



 今回は、ちょっとまじめに書いたので、堅苦しい内容になってしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

世界に誇れる日本人研究者のノーベル賞の快挙、司法のみなさんも見習いなさいよ!

10/26
今年のノーベル賞は、南部さん、小林さん、益川さんの3人が物理学賞に、下村さんが化学賞に決まり、日本人研究者の快挙が際立ちました
改めて、日本人の研究レベルの高さを再認識させていただくとともに、同じ国民として、また、かつて、似通った分野に携わった者としてたいへんうれしく思っています。


このような方々の、お話を伺っておりますと、私の恩師のことが思い出されます。
私が、大学の卒業研究で研究室にいた頃のことですが(もう、かなり前のことになってしまいましたが)、昼夜を問わず、ひたむきに研究に打ち込む恩師の姿勢に接し、本当に頭が下がる思いでした。
学生たちの研究、実験に適格な指示を出し、夜遅くまで実験を指導してくださったり、帰宅されてからも、深夜まで文献を読まれたりするということでした。
そして、常に最新の研究成果にもアンテナを張り巡らせ、さらに進んだ領域を探究し続ける情熱には、ただ感心するばかりでした。
短い期間ではありましたが、私も、そのような先生の下で、最先端の研究の一翼を担うことができましたことを、誇りに思っております。


私が、自然科学の分野が、どんな些細な研究であっても純粋に素晴らしいと感じるのは、調査や実験の結果がストレートに結論に反映される世界だからと思うのです。
いいかげんなデータをとったり、インチキの研究をしたのでは、決して結論を導き出すことはできません。
つまり、ごまかしの効かない分野であるとも言えます。


たまに、実験データを捏造してインチキの論文を書いたりする方もいらっしゃいますが、このような分野では、過去の研究成果に基づいて、さらに発展した研究をすることが多いので、再現実験などで同様の結果が得られなければ、インチキは、すぐに見破られてしまいます。
ですから、そういう意味においては、自然科学の世界は、とてもシビアな世界であると同時に、人間の主観の入り込む余地のない、純粋な真理の世界であると思うのです。


それに引き替え、とんだきっかけから裁判にかかわることになった私は、人間(裁判官や官僚)のエゴが渦巻く中で、真実が歪められ、結論が、行き着くべき方向とは程遠いところへ持って行かれ、何の検証もされることなく、一方的に決め付けられてしまうことがまかり通っている司法の世界には、本当にうんざりしています。

私が理系の出身であるからと自然科学の分野をひいき目で見ているわけではありませんが、裁判での体験があったからこそ、これらを対比した場合に、日本の自然科学の世界が、クリーンで高尚な、世界に誇れる先進的分野であると感じている一方、腐敗している司法の世界は、メスを入れ、膿をかき出す必要のある立ち後れている分野であると感じております。

 司法制度のすみやかな改革が望まれますが、それができないのであれば、いっそのこと、“裁判ソフト”でも開発して、条件を入力すれば、ワンクリックで判決が出てくるなんてのは、いかがでしょうか
このほうが、よほど正しい判断をしてくれると思うのですが・・・・・
特に、国家賠償訴訟においては、そうでしょうね


裁判の立証と数学の証明問題って とっても似ているんですよ!

11/28
弁護士など誰にも相談せず、国を相手にひとりで裁判を闘うことは、とても大きなストレスでしたし、プレッシャーでもありました。

裁判を始めるにあたり、何冊も関連する法律書を読みましたが、当初は、日常聞き慣れないような法律用語の連続で、悪戦苦闘していました。
特に、原告適格に関しては、一般向けや入門者向けの法律書には、詳しい記述がほとんど載っておらず、専門的な本を読む必要がありました。辞書を片手に、何か外国語でも読んでいるような感覚でした。
それでも、たいがいの用語は、普通の国語辞典に載っていますし、裁判に関連する限られた分野を読んだり調べたりする分には、どの本にもだいたい同じような言葉が繰り返し出てくるので、3冊目くらいからは、わりあい、すんなりと内容が理解できるようになりました。


裁判が始まってからは、口頭弁論の度に提出する書面を、推敲を重ね、期日までに作成するのに必死でした。

一審では、原告である私の主張に対し、被告の国が反論し、それに対し、私が再び反論するという具合で、書面による議論の応酬でした。
本に載っていた戦術についてのノウハウを参考に、客観的根拠に基づいて、いかに相手の矛盾を突き、被告の主張の論理を崩していくかを心掛けました。


“国を相手に、そんなこと簡単にできるの?”なんて、思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、矛盾だらけの国の主張からは、それが面白いように見つかったのです。
たとえば、国の準備書面での主張が、第1、第2、第3などの項目に分けて書かれていたのですが、それぞれを何人かで分担して書いたのかどうかはわかりませんが、それらの整合性がなかったり、また、労働基準監督署の担当職員がかかわった部分に関しては、明らかに虚偽と見破られてしまうような主張が何箇所もあったりと、矛盾点を突くのは極めて容易なことで、私にとっては実に痛快でもありました。
これは、富岡労働基準監督署や福島労働局の対応が、いかにずさんであったかということの証明でもあるわけなんですが・・・・・


ですから、私自身も、反論の書面が客観的根拠に基づいてしっかり書けたと確信しており、それに対して被告からは具体的な反論がされなかったことがほとんどでしたので、完全に論破したという思いでいました。

それと同様なことは、判決書についても言えることです。
控訴理由書で一審判決の矛盾や不備を徹底的に指摘したことで、一審の判決理由は、ほぼ全面的に書き換えられました。
しかし、その二審判決もまた、いいかげんな判決で、上告の際に、二審判決のデタラメ、矛盾を指摘しましたしましたが、最高裁が、上告不受理とし、二審の違法性を是正させるチャンスを自ら潰したことで、刑事告訴される事態となったわけですが・・・・


私の電話相談に端を発した労働基準監督署をめぐる一連の事件に関しては、労働基準監督署(行政)、夫の勤務先、夫、私と、それぞれの様々なかかわりが、時間の経過とともに推移し、縦糸と横糸が複雑に絡み合っているような事件であったと思います。

ですから、どこからどのように立証していくか、捉える角度により、様々な立証の仕方が考えられます。
いかに、最短距離で明快に、そして強力に結論付けるかがポイントであり、難しい課題ではありましたが、それを考えるのはけっこう楽しい作業でもあり、解決の糸口を見つけた瞬間は快感でもありました。
ちょうど、数学の図形の証明問題を解いているような感覚といいましょうか?
図形の証明問題は、視点を変えることにより、いく通りもの方法が考えられます。回りくどい証明もあれば、単純明快な証明もあります。

 直感とひらめきにより、いかに明快に、定理(あるいは法律)に基づいて論理的に結論付けるかという点においては、数学の証明問題と裁判の立証は、通じるところがあります。

ヒラメ性の発揮により、結果には反映されず、デタラメの判決理由に基づく二審判決が確定されたことは、決して許されることではなく、今後も裁判官らの責任については追及していきますが、裁判をある種の知的ゲームとして捉えた場合に、素人の私が、ストレスとプレッシャーを感じながらも、優越感と達成感に浸れたことは確かです。

裁判官のみなさん おすすめの本があります

12/03
このタイトル、どこかで見覚えはありませんか?
そうです。ネット通販のAmazonを開くと、こんな感じのが出てきますよね。
“大きな、お世話よ!”などと思いつつ、つい見ちゃって、面白そうなのがあると思わず注文したりして・・・・
すっかり、Amazonの戦略に乗せられていますが。


前回のブログで、私の本人訴訟による国家賠償訴訟では、ストレスとプレッシャーを感じながらも、ある種の知的ゲームとして楽しめ、優越感と達成感と味わうことができたということをお話しました。

そもそも、私は、裁判は弁護士がするものであると、当然のように思っていました。
弁護士を頼まず、自分で裁判をする本人訴訟のことを知ったのは、訴訟を始めるほんの1年半ぐらい前のことです。新聞か何かでだったと思いますが・・・
でも、はじめてみると、これが、はまってしまいましたね!
単調な主婦の生活で、知的刺激に飢えていたせいもありますが。


私のケースの場合、原告適格や信義則など、けっこう難しい問題も含まれていたわけですが、複雑であればあるほど、余計、気合が入りましたね。
それで、うまく主張や反論ができたときには、それだけ達成感も大きかったですし。


それにしても、なぜ、国語が得意でない私が、難しい法律書を読み、相手(国)の主張や判決書の不備や矛盾を突いて、それらの論理のデタラメをいかに崩すかを楽しみながら思考し、文書にして反論することができたのでしょうか?

このことは、自分自身でも不思議でしょうがなかったことなんですが・・・
私、道を間違えたんじゃないかって思うほどでしたよ。


その理由が、最近、やっとわかったのです。
2,3ヶ月前、たまたま立ち寄った本屋の店頭で、手に取った1冊の本が教えてくれました。


それは、 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!(小学館)』です。
“数学大好き少女”だった私には、“今さら必要のない本かな”とも思いましたが、自分の思考の仕方を知ることができるんじゃないかと思い、手に取ってペラペラとページをめくってみたところ、「弁護士を志望する人は数学を勉強するのが望ましい」というのが、目に飛び込んできました。さらに、裁判と数学の思考過程は同じで、どちらも数学的思考力を必要とするということが、書かれていました。


面白そうだったので、さっそく購入して読んでみました。
この本に書かれている思考の仕方は、正に、私が裁判で駆使してきた思考の仕方と基本的に同じだったのです。
私が、ストレスとプレッシャーを感じながらも、裁判を知的ゲームのような感覚で楽しめたのは、無意識のうちに、数学的思考力を発揮していたからなんだと思いました。


ということは、論理的に矛盾している二審判決をお書きになられた裁判官の方々の数学的思考力のことが、とても心配になりますが・・・・
 この本には、数学的思考力を身につけるためのノウハウが、とてもていねいに、わかりやすく書かれています。
裁判官のみなさん、是非、お読みになってください。


ちなみに、あまり難しくない漢字にもルビがついていますので、中学生でも・・・、じゃなかった、首相でも、よくご理解していただける内容だと思います。

それと、忘れていましたが・・・・
二転三転する矛盾した主張を繰り返してきた国の代理人には、おすすめしないのか(?)ってことですが・・・


それは、必要性を感じませんね。
何と言いましても、土台となる労働基準監督署をめぐる一連の事件では、行政の対応がいいかげんでしたので、いくら優秀な代理人がついたところで、形勢には影響ないと思いますので。
つまり、デコボコの土台の上に、いくら立派な建物が建ったところで、いずれ崩壊する運命にあるということです。






司法試験に 数学の試験はどうかしら?

12/10

前回は、裁判官のみなさんにおすすめの本ということで、「細野真宏の数学嫌いでも『数学的思考力』が飛躍的に身に付く本!」(小学館)を紹介しました。
裁判と数学のいったいどこが関係があるのかっていうことに関しては、詳しくお話していませんでしたので、今回は、そのへんのところをお話します。


この本の題名を見ると、数式がいっぱいの普通の数学の本を想像するかもしれませんが、すでに読まれた方はご存知のとおり、数式はほとんど出てきません。
また、数学的思考力というと、たいていの人は、複雑な計算ができたり、公式や定理を駆使して難しい応用問題が解けたりする能力のことで、“日常生活には、ほとんど関係ない” なんて思っていらっしゃるかも知れません。


しかし、この本での「数学的思考力」とは、 「物事の仕組みを一つひとつ整理して考えることのできる能力」と記述されています。
そして、その数学的思考力を、あらゆる分野に応用し、物事の本質を見抜くことによって、様々なことを正確に理解し、わかりやすく解説できることで、人を動かす力を身に付けることにもなるというように、数学的思考力の活用法にまで触れています。

この本の内容で、裁判をする際に、裁判官にとっても、また、当事者である原告や被告にとっても、特に重要であると、私が思った部分をまとめてみますと、
「一見すると正しそうであっても実は大きな矛盾のある論理は以外に多くあるため、素朴な疑問やつっこみによって論理を総合的に判断する『論理的洞察力』を用いて仮説と検証を繰り返し、情報の本質を見抜く」
というところだと思います。

どうやら、私の一審、二審判決には、これらのことが完全に欠落していたようです。
同様のことは、 『どうして裁判所は、一方の観点から検証しただけで安易に結論づけてしまうの?』 『二審のインチキ判決のわけ、実は、仲間(一審の裁判官)思いの“お情け”だったの?』 でも、すでにお話しています。
もっとも、裁判官がヒラメ性を発揮するために、あえて本質から遠ざかろうとしたのではないかという可能性も大きいのですが。
仮にそうであったとしても、素人の私に即座に論理の矛盾を指摘され、ネット上で公開される羽目になるということにまで考えが及ばなかったこと自体、世の中の本質を見抜けていないことになるのかも知れませんが。


以上のように、私は、生意気にも裁判官の判決を批判したわけですから、私の裁判での主張は、当然、パーフェクトでなければならないことになりますが・・・・
ということで、裁判が全く初めての私は、とにかく本に載っていた戦術のノウハウを忠実に実行するよう努めました。
相手(国)に付け入る隙を与えないように、矛盾がないかあらゆる角度から検証を重ね、細心の注意を払って論理を組み立てました。
事件としては複雑なケースであったとは思いますが、事件の経緯を記録していましたので、それに従って正直に主張を展開したまでのことで、主張に矛盾がなくて当然といえば当然のことなのですが・・・・


だからこそ、一審では、福島地裁いわき支部が採用した証拠が限りなく不適切ではありましたが、国を勝訴させる理由を、自由心証主義の下に合法的にかろうじて見つけたものの、控訴の際に私が、その判決理由をことごとく否定したため、国を勝訴させる理由が何ひとつ見つけられなかった二審の仙台高裁は、矛盾した論理と私の主張をねじ曲げたデタラメなものを判決理由として、犯罪行為に及ばざるを得なかったのでしょうけど・・・

 「数学的思考力」、これは、鋭い洞察力で物事の本質を見抜くためにも、裁判官に必要不可欠な能力なのではないでしょうか
いっそのこと、司法試験に数学の試験を導入しては、いかがでしょうかね

 

裁判所は“裸の王様”!

12/17
先週、私は、新聞のある県内版の記事に、とても不快な気分になりました。
それは、私がよく利用しているショッピングセンターに関することで、ショッピングセンター周辺の住民6人が、住宅が傾斜し亀裂が入ったのは、94年~95年のショッピングセンター建設に伴う地盤沈下のためだとして、開発会社など2社に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決の記事です。
一審の福島地裁いわき支部判決は、住宅の被害と工事の因果関係を認め、約3700万円支払を命じたものの、二審の仙台高裁は、一審判決を破棄し住民の請求を棄却したというものです。


このような私の裁判を行った裁判所に関する記事を目にするときは、いつも、私の担当だった裁判官が記事に出てこないことを願ってしまいます。
それは、前にもお話したように、違法行為を行った裁判官が、いまだに平然と誰かを裁いていることに、強い憤りと不快感を覚えますし、また、仮に、新聞に掲載され世間から注目されるような裁判のみが厳正に裁かれているとしたら、余計怒りと悔しさがこみ上げてくるからなのです。
アンラッキーなことに、いやな予感は的中してしまいました。


ぜんぜん関係ない地域の裁判の記事やニュースでしたら平気なのですが、自分がかかわった裁判所のことになると、記事を読みたいという興味と同時に、また嫌なことを思い出したくないという気持ちが交錯するのです。

それだけデタラメ判決は、私の心の傷となっているのかもしれません。

何か面倒な問題や困難なことに直面しても、解決する術を見つけ、それに向かって努力すれば、努力は報われるということを信じてきましたし、体験的にも十分承知しているつもりです。
ですから、国家賠償訴訟に関しても、希望をもって提訴に踏み切りました。
しかし、いくら努力したところで、それが全く報われない世界が司法なのです。しかも裁判官の違法行為によって、いとも簡単に踏みにじられてしまったわけなのですから・・・・・
司法には、本当に失望しました。
少なくとも、私は、一審判決の直前までは司法を信頼していましたが、その信頼は完全に崩れ、おかしな判決を聞くたびに、愚かな裁判官が、またずさんな判決を下したのではないかという疑いのまなざしで、つい見てしまいます。


ですから、冒頭で述べたショッピングセンターの裁判についても、詳細は知りませんが、私個人の感想としては、私のときと同じ裁判官らが、再び権力者寄りの判決を下したのではないかと、冷ややかな目で見ていますが・・・・

私もそうであったように、裁判に直接かかわってみなければ、多くの人々は、その実状に関心を持つことは、ほとんどないと思います。
多くの国民は、“最高裁”“裁判所”という威厳のある言葉の響きに、裁判所の判断を疑いもなく信じているだけなのかもしれません。
そして、裁判所もまた国民の妄想により作り上げられた虚像の権威を利用して、国民の権利を無視した官僚主権のような横暴な裁判を続けてきたのかもしれません。


ということは、裁判所の実像は、国民の妄想により作り上げられた威厳を利用して、国民を欺いている  裸の王様 ということになりませんか?

やっぱり裁判所は裸の王様だったんですね! ~裁判員制度で報道が変(2)~

01/21
公務員などが、刑事事件として立件されたとなると、新聞などでけっこう大きく報道されますよね。
まして、裁判官が立件されたとなると、大、大、大事件になること間違いなしですよね。


ところが、とっても変なんです。

私は、昨年1月に裁判官らを刑事告訴したわけですが、4月に検察庁に問い合わせ、立件されたことを確認した後、いくつかの新聞社にその情報をメールで送りました。
すると、ある大手新聞社の地方局の記者から問い合わせがあり、資料を見て慎重に取材を進めたいので、資料を送って欲しいということで、たいへん興味をもたれた様子でした。
私は、おかしな裁判の実態をみなさんに知っていただくチャンスだと思い、刑事告訴の際に提出した資料などを送ったところ、何か動きがあったらすぐ連絡して欲しいということでした。
ところが、その後、3ヶ月ぐらいしてから検察から不起訴処分の通知が届いたのでメールで伝えたのですがが、なしのつぶてです。
記者のトーンが急激にダウンしてしまったのが、とても不思議でした。


それから、私のブログを読んでくださっている方から、新聞記事にしてみてはというお誘いがあり、承諾したところ、知り合いの記者何人かに声をかけてくださったようなのですが、こちらも今のところダメなようです。

前回の私の記事にコメントを書いてくださった方も、裁判員裁判の聴覚障害者の参加に関する報道のことで、 “「憲法の番人」の見えざる手を感じる”とおっしゃっています。
私も、まさに、そのようなことをひしひしと感じております。
(なお、裁判員制度での、聴覚障害者に対する配慮不足に関しては、 「裁判員制度への疑問(1)コールセンターが使えない」をご覧ください。)


メデイアが情報を取捨選択し、ある方向性のある情報しか報道しないとなると、これは、民主化の遅れている近隣の国々と何ら変わりはありません。

しかし、悲観的になることはありません。
メディアが司法に都合の悪いことを取り扱わないのであれば、一般の人々が、その都合の悪いことについて痛烈に批判したところで、メディアも何もできないのです。
そして、見えざる手が触手を伸ばしているメディアだけではなく、見えざる手の主も、また、何も言えないのです。
もし、見えざる手の主が、下手に国民の司法批判を非難しようものなら、逆に、主の非を追及されてしまいますから。
ですから、見えざる手の主は、司法に対する痛烈な批判を憂慮しつつも、ただ傍観しているだけなのです。
そのことは、実際に、裁判所からの私のブログへのアクセスにも、顕著に現れています。


以前お話したように、私のブログへは裁判所からのアクセスがしばしばあり、痛烈な裁判批判に対して、だいぶ気にかけている様子なのですが、裁判所からのおとがめなどは一切ありません。
それどころか、裁判所からのアクセスのことをブログに書いたところ、それっきり、それまでのような福島県内、宮城県内の裁判所関係者からと思われるアクセスはなくなりました。(わからないようにアクセスしているとは思いますが。)
しかし、p-proxy.courts.go.jp などからは、記事のエントリー当日にアクセスがあったりしますので、きっと、Googleアラートなどの機能を利用してチェックしているのかと思います。


 社会全般にわたり、判決、決定、命令などを統括している裁判所が、実は、国民の動向をすごく気にし、私のような一主婦のブログにさえも、行動が影響されてしまうのですから、やっぱり、裁判所は 裸の王様 だったのですね

最高裁判所自らが判例違反をしているんじゃないの!

02/24
In Japan, the Supreme Court does not follow a judicial precedent.
English Version

受験シーズン真っ只中ですね。
今回は、この受験に関係することなのですが・・・・


最高裁の判決にしては珍しく拍手を送りたくなるような、極めて妥当な判決があります。
それが、学納金返還訴訟(不当利得返還請求事件)です。
どんなものかと言いますと、(わかりやすく、私立大と国立大の例に置き換えて説明しますが)
私立大学に合格し、入学金や授業料を支払って入学手続きを済ませた受験生が、その後、国立大学にも合格たので、私立大学への入学を辞退した場合に、いったん支払った入学金や授業料などの返還を請求する訴訟のことです。


消費者契約法の施行前は、入学金や授業料の返還を一切認めない判決が支配的であったのですが、消費者契約法施行後の2006年11月27日の最高裁による判決以降は、入学金の返還は認めないが、入学金以外の部分(授業料、施設費等)については返還を認める判決が相次いで出ています。
入学金は「入学できる地位の対価」であり、入学辞退者であってもその地位を得ているため、大学は入学金の返還義務がありませんが、授業料、施設費、諸会費等は、「授業の受講や施設の使用に対する対価」であり、入学していない以上は辞退による損害を学校側が受けておらず、実害を超える賠償を禁止する消費者契約法に反するため、入学者が確保できる時期まで入学辞退を申し出れば、授業料等の返還義務あるというのが、おおかたの理由のようです。(ウィキペディア参照)


学納金返還の基準を示したともいうべき2006年11月の最高裁判決は、受験生の家族にとっては、本当にありがたい判決ではあるのですが、この判決を出した当の本人のことについてはどうなのでしょうか?

この判例が、私にとって気になるのは、上告の際に、上告不受理になったり、却下になったケースについて、訴訟費用が返還されないのはおかしいと思うからなのです。

確かに、訴訟費用の扱いについては、法律で定められていることですし、それを承知の上で上告をしているのですからと言われれば、それまでのことなのですが・・・・・

難しいことは抜きにして、単純に、訴訟費用が裁判所の対応に対する対価として妥当かどうか、わかりやすく言えば、訴訟費用が裁判所の対応に見合ったものであるかどうかという観点から、一般的な主婦の経済観念で表現してみたいと思います。

その前に、訴訟費用についての簡単な知識を頭に入れておいていただきたいと思います。
訴訟費用は、訴額(その訴訟で原告が請求する金額)によって決まりす。請求額が大きければ、それだけ訴訟費用も大きくなります。
また、控訴の際の訴訟費用は、一審のときの1,5倍、上告の際は、一審のときの2倍の訴訟費用がかかります。


私のケースで検証してみますと、
一審の裁判は、1年9ヶ月に及び、その間、合わせて10回近くの口頭弁論や弁論準備手続きがありました。
また、当初は、単独の裁判官で裁判をしていたのですが、途中からは合議体になり3人の裁判官で審理が行われました。
ですから、一審についてみれば、期間も長くかかりましたし、合議体になったからといって、訴訟費用が値上げされたわけではありませんので、変なたとえかもしれませんが、食べ放題のレストランで、二人前も三人前も料理を平らげたような、ちょっとお得な気分と言えるかもしれません。(あくまで、裁判の内容を無視してのことではありますが。)


二審の裁判は、合議体で行われますが、たった一度の口頭弁論が開かれただけで、結審となりました。
(二審判決は、例のデタラメ判決でしたので、ブランドのバッグを購入したつもりが、まったくの偽物だったということになりますが、その点については今回の記事の趣旨に外れるものなので、触れないでおきます。)
訴訟費用が1,5倍になったにもかかわらず、たった1度の口頭弁論で結審となり、一審と比較すると、かなり割高な感じがしますが、判決も書いていただきましたので、そんなに問題にするまででもないことかなと思います。


上告の際はどうかと言いますと、
最高裁から記録到着通知書が届いてから、およそ1ヶ月後、上告不受理の調書(決定)が届きました。
しかも、その調書(決定)は、わずか数行の決まりきった文面で、事件番号さえ変えれば、どの事件にも通用するようなものでした。

最高裁に提出する書面は、相手方(被上告人)が一人でも同じものを8通提出しなければならないので、複数の裁判官に読まれ審理されることを想定していると思われますし、そのような人件費なども考慮して、訴訟費用が一審のときの2倍になっているのかなとも考えられるのですが、
実際は、最高裁に上告される膨大な数の事件から考えると、最高裁に資料が届いてから、わずか1ヶ月の間に複数の裁判官に読まれることは不可能であると思われますし、私が、最高裁から福島地裁いわき支部に戻ってきた上告受理申立理由書を確認したところ、用紙の状態から、書面を読んだ痕跡が確認できませんでした(詳しくは『最高裁判所は 本当に裁判資料を読んでるの? ~裁判の不思議~』)。


私は、一審、二審の裁判を通じて、裁判が信用できないということを、ほぼ確信していましたので、上告の際に訴額をかなり下げたわけですが、それでも、けっこうな額の訴訟費用を納めました。
ですから、上告についていえば、高い訴訟費用を取られたあげくに騙されたというのが私の本音です。


仮に、上告された事件が、単独の裁判官によって、最高裁で審理すべきものか、そうでないものかを事務的に振り分けられるとするならば、審理する必要がないと判断された事件(上告不受理や却下になったケース)については、消費者契約法にしたがって、申立人に訴訟費用を返還すべきではないかと思います。
もっとも、ほとんど読まれていないとなれば、これは詐欺ということになるでしょうが。


 ですから、最高裁判所自らが、判例違反をしているんじゃないかって思うのです。

上告の際の訴訟費用って 公平さに欠けていますね!

03/02
訴訟費用が裁判所の対応に対する対価として妥当かどうか、特に、上告不受理や却下になったケースで、訴訟費用が返還されないのは、おかしいのではないかということを、前回の記事でお伝えしました。

今回は、このことに関して、もうちょっと掘り下げて考えてみたいと思います。

読売新聞社会部著 『ドキュメント裁判官』によれば、上告される膨大な事件と格闘する最高裁判事を支えるのが32人の最高裁調査官(民事、刑事、行政の各分野に10年以上の経験を持つ裁判官)なのだそうです。調査官は、割り振られた事件の一、二審判決や上告趣意書、訴訟記録に目を通し、判事が参考にする報告書を作成するそうです。
報告書の表紙には、「○」や「△」のどの印がつけられ、○は高裁判決や決定を破棄・変更すべき事件や、判例集に掲載されるような重要事件、△は結論が上告棄却でも、小法廷で評議にかけるべき事件、評議する論点もない事件には、回覧で済ませる「持ち回り審議」の印をつけるそうです。


最高裁判所の調書(決定)には、小法廷の5人の裁判官の氏名が記載されていましたし、上告の際に同一の書面を8通提出することや、上記のことから推測しますと、各小法廷に割り当てられたすべての事件は、必ず5人の裁判官によって目を通されるものと受け取れます。

そこで、いったい、一人の裁判官がひとつの事件にどれだけ時間を割くことができるのか計算してみました。
最高裁の判事の業務の詳細については知りませんので、あくまでも一般的な勤務時間からの予測ではありますが・・・・・


最高裁に上告されてくる民事事件は年間約三千件、刑事事件は約二千件、前年から繰り越される事件も民事刑事合わせて約二千件だそうです(読売新聞社会部著 『ドキュメント裁判官』2004年3版参照)。
これらを、3つの小法廷に分割し、判事の業務のうち1日6時間を、月に22日間、上告された事件に当てるものとして計算してみますと、
各小法廷に割り当てられる事件数は、(3000+2000+2000)÷3=2333件/年・小法廷
判事のおおよその年間業務時間を事件数で割ってみますと、
6時間×22日×12か月÷2333件=0,67時間/件≒40分/件
となり、かなり大雑把な計算ではありますが、判事がひとつの事件に当てることができる時間は、平均約40分と推測されます。

あくまでも平均ですので、十分に時間をかけ評議する必要のある事件がある一方で、時間をかけられない事件(つまり、上告不受理や却下になる事件であると思われますが)も当然出てくるはずです。
ということは、最高裁での判断に費やされた時間が、5人の裁判官がかかわった時間すべてを合計しても、わずか数分か数十分というケースも出てくるはずです。

訴額が大きく訴訟費用が高額な事件であっても、事件としては比較的単純なケースで、わずか数分の判断で上告不受理や却下になるケースがある一方で、、訴額が小さく訴訟費用が少額でも、事件としては複雑で時間をかけて十分評議が行われるケースもあるのではないでしょうか。
そうしますと、単純に考えれば、上告不受理や却下になった事件の余分な訴訟費用で、それ以外の事件の経費を補っているということになり、訴訟費用の公平さの観点からは、著しく問題があると思うのです。


ところで、一人の裁判官がひとつの事件に費やせる時間が平均約40分というのが適切であるかどうかの判断は、そのような状況であっても、当事者にとって、訴訟として価値のあるものであるかどうか、つまり、下された判決や決定が厳正・中立であるかどうかということに尽きると思うのです。
ですから、一件あたり、わずか40分であっても、下された判決や決定に合理性や客観性、普遍性があり、問題がないのであれば、それは適切であるということになるのです。


私のケースはどうかといいますと、二審の判決理由がデタラメでしたので、上告受理申立理由書の中でかなりのスペースを割いて訂正するよう主張したわけですが、精読してもらえなかったのかどうかはわかりませんが、上告不受理とされてしまいました。
ですから、現行の三審制の裁判のシステムや最高裁の対応に問題があるのではないかと考えています。


 すなわち、高額な訴訟費用や多くの時間を費やして上告したとしても、ごく一部の限られた者しか、それに見合うだけの恩恵を享受できない現行の裁判制度は、極めておかしいのです。

サンプロ出演の田中真紀子氏 司法の本質をズバリ!

03/12
3月8日のサンデープロジェクトに出演した田中真紀子氏は、西松建設の違法政治献金問題の捜査が国策捜査ではないかと取りざたされていることに関連し、父親である田中角栄氏がロッキード事件で逮捕、起訴されたときのことを話されていました。
そのときの捜査や刑事裁判の様子から、真紀子氏は、司法に対して不信感をもっていらっしゃるようで、日本の司法の本質を鋭く突いた発言をされていました。


国家賠償訴訟の経験から、私が日頃から司法に対し抱いていた不信感や疑問を、ほぼ完璧に近い形で代弁してくださったとも言え、真紀子氏が私と同じような考えをお持ちだったことに、本当に驚かされました。

私の国家賠償訴訟の一審では、行政が二転三転する嘘の主張を繰り返し、捏造した証拠を提出しているにもかかわらず、客観的な証拠を検証することなく、行政側の信用できない証言を証拠として採用し、私の請求を退けたました。
また、二審では、私の主張の中から行政関与の部分を完全に削除し、主張の趣旨をねじ曲げたものを判決理由として控訴を棄却しました。
さらに、最高裁は、そのデタラメな判決理由を訂正することなく、わずか1ヵ月ほどで上告不受理として、二審判決を確定させました。
ですから、結論が先行しての判決理由であったことは明らかです。
さらに、そのデタラメの判決を作成、確定させた裁判官らを刑事告訴したところ、立件はしたものの不起訴処分とした検察、それらの情報を提供しても、報道しないマスコミ。
なにか、この国は、歪んだ国家権力によって支配されているような気がしてなりません。


番組での真紀子氏の発言は、このような経緯を辿った私の国家賠償訴訟にも通じるところがたくさんありましたので、ご紹介します。

田中角栄氏の刑事裁判について、真紀子氏は、
「日本の司法は三審制度であるが、当時の一審の裁判長が判決をしないうちに、最高裁長官が、 『この裁判は最高裁までいくまでにも、ずっと有罪である可能性がある。』ということを発言された。
あれには驚愕したし、背筋が寒くなった。日本は文化国家でもないし、どこかで操られているんだ。大きな国家権力があるんだなと。
世論を誘導し、一審の裁判長に予断と偏見を与えるがごとき発言を最高裁判所の責任者がするということに対し、たいへんな不審を越して、驚愕したし、絶望した。その頃から、あまり変わっていないんじゃないか。」
  

YouTube サンデープロジェクト 田中真紀子議員に聞く

まさに、これが日本の司法の現実なのです。
私の思っていたことを、真紀子氏がズバズバおっしゃってくださいましたので、 “みなさん、よく聞いてください”って私は心の中で思っておりました。


さらに、真紀子氏は、政権交代で、基本的な政策転換(対米、皇室典範、官僚問題など)で困る人たちがいて、そういう人たちが自民党派内とか、学者、元ジャーナリスト、文化人などにもたくさんいて、自分たちの何かを思って、政権交代をさせないほうがよいと思っているということもおっしゃっておられました。

このようなことは、西松建設の違法献金問題での国策捜査を確信している方々のブログでもたくさん書かれているようです。

YouTube サンデープロジェクト 田中真紀子氏に問う  小沢代表の進退
YouTube サンデープロジェクト 田中真紀子氏に問う  どう見る?民主党狙い撃ち


政権交代を拒もうとしている人たち、それは、まさに歪んだ国家権力を発動させている人たちのことにちがいありません。
国家賠償訴訟に対する不信感から、その存在に、私もうすうす気がついていました。


 国民のみなさんには、この現実を知っていただき、その上で的確な判断をされるべきです。

 それにしても、真紀子氏の歯に衣着せぬ発言、聞いているだけでもスカッとしますね。   

痴漢冤罪裁判との共通点 (一躍ヒーローになった最高裁第三小法廷ではありますが・・・)

04/21
電車内で女子高校生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた名倉正博防衛医大教授の上告審判決で、最高裁第三小法廷は、先週14日、懲役1年10ヵ月の実刑とした一、二審判決を破棄し、無罪を言い渡しました。
最高裁判決後のテレビや新聞の報道では、『このケースでは目撃証言などがなく、証拠は女子高校生の供述だけであった。他の痴漢事件でも同様なケースが多く、検挙件数が増加している一方で、無罪になるケースも続出。』 として、痴漢事件の捜査や裁判の難しさを強調しているようでした。
そのときは、事件について、それ以上の詳しい事情を知りませんでしたので、無罪になった名倉教授には同情しつつも、仕方のない状況だったのかと思っていました。
ところが、19日のサンデープロジェクトに出演された名倉教授と弁護士の秋山賢三氏が話していた詳細な事件や裁判の状況を聞いて、あることに気がつきました。
それは、刑事と民事との違いこそはありますが、判決を導き出すための手法が、私の国家賠償訴訟のときと共通していたことでした。


共通点を列挙します。

① 客観的証拠に基づいた事実認定をしていない。
(痴漢冤罪裁判)
名倉教授の手から採取した検体のDNA鑑定をしたが、検察はそのような都合の悪い証拠を出さなかったし、裁判所も証拠を出すよう指示もしなかった。着衣の繊維鑑定では、犯行を裏づけるような証拠が得られていないにもかかわらず、証拠採用していない。
(国家賠償訴訟)
私が提出した書証や国が提出した書証には、私の主張を裏づけるものが多数あったが、完全に無視し採用しなかった。

② 供述のみを証拠として採用している。
(痴漢冤罪裁判)
有罪判決を出すために有利な被害者の供述のみを採用している。
(被害者は、検察と詳細、入念な打ち合わせをしており、単純なケースであるので、普通の能力を備えていれば、本当らしく、具体的、詳細、迫真的に供述することが可能であるとして、最高裁では疑いの余地があるとされた。)

(国家賠償訴訟)
一審判決において、国の主張が二転三転しているにもかかわらず、書証をまったく無視し、国の証人(加害公務員本人)の証言のみを証拠として採用している。
しかも、国の二人の証人は、嘘をもっともらしいストーリーに作り上げ、よく暗記したせりふを述べているという感じであった。


※ 共通していることは、結論がはじめから決まっており、それに合わせて証拠を採用していると思われる。

③ (痴漢冤罪裁判) (国家賠償訴訟)双方に共通していえることであるが、結論を導くための論理が、あらゆる角度から検証されることはなく、不自然であったり不合理な点があっても、もっともらしいある一側面だけを捉えて結論づけている。

④ 新たな事実や証拠が出されていないにもかかわらず、判決や判決理由がまったく変わってしまう。
(痴漢冤罪裁判)
一、二審が、被害者の供述をそれぞれ、十分信用できる、詳細かつ具体的であり疑問をさしはさむ余地がないとして有罪判決を下したが、最高裁は、信用性については、なお疑いを入れる余地はあるとして無罪を言い渡した。
(国家賠償訴訟)
一、二審判決ともに棄却ではあったが、判決理由がまったく異なった。
一審では、1年9ヶ月に及んだ裁判であったにもかかわらず、最終の裁判で行われた証人尋問の国の証人の嘘の証言を基に、事件の内容にはまったく触れることなく棄却とし、二審では、多少内容に触れたものの、判決理由が矛盾していたり、“裁判官により作られた控訴人の主張”が判決理由とされた。


以上のことより、これらふたつの裁判に共通して言えることは、これまでのブログの中で何度もお伝えしてきたことではありますが、 判決が、裁判官の主観に左右され、客観的な証拠に基づかない非科学的な手法によって、合理性の欠落した判決が導き出されているということです。

このような共通点のある痴漢冤罪裁判と国家賠償訴訟ではありますが、唯一の違いといえば、最高裁で取り上げられたことと不受理になったことでしょうか。
名倉氏が、防衛医大教授ということで、仮に職務にかかわる事件であるのなら、国に保護される立場の方であるとか、話題になった映画 『それでもボクはやっていない』 のモデルになった秋山弁護士が代理人であったことなどもあり、社会的にも注目され、最高裁の目に留まったのかどうかはわかりませんが、私としては、 「法の下の不平等」 を痛感しています。
これは、最高裁の注目の仕方にのみ焦点をあてたもので、名倉教授の無罪は確信していますのでお間違えなく・・・・


 最後に一言
逆転無罪という極めて妥当な判決を下し、一躍ヒーローになった第三小法廷の裁判官のみなさんではありますが、私のデタラメの仙台高裁判決を確定させ、昨年、刑事事件として立件された(根拠もなく不起訴処分にされてはいますが)方々であることは、くれぐれもお忘れなく。


合議体で判断が食い違った場合 誰の判断が優先されるの?

04/28
前回の記事では、痴漢冤罪裁判にせよ、私の国家賠償訴訟にせよ、新たな証拠や事実が何も出されていないにもかかわらず、判決や判決理由が、前の下級審の判断とまったく異なってしまったということをお伝えしました。

上訴審で判決が覆ったり、判決理由がまったく異なってしまったこれらふたつの裁判(痴漢裁判では一、二審,国家賠償訴訟では一審)に共通していえることは、被害者あるいは被告一方の供述(証言)のみを証拠として採用し、鑑定結果や書証などの客観的証拠をまったく無視している点にあります。
ですから、このような裁判が行われた場合、判決は、裁判官の主観に左右され易く、判決を恣意的にコントロールすることが可能になるのです。
これらふたつの裁判において、供述(証言)のみを証拠として採用するという、極めて誤判のリスクが高い手法をとったことについては疑念を抱かざるを得ませんが、司法が、一応三審制をとっており(最高裁が、すべての事件の裁判資料を読んでいるかどうかは疑わしいため“一応”をつけますが)、厳正な判断を求められる機会が複数回保障されているので、判決が覆ったり、判決理由が異なってしまうことは十分あり得ることです。
しかも、裁判官は自由心証主義のもとに判断するので、私が一審の証拠採用の妥当性や事実認定の不審さを非難するだけでは、単なる素人の思い込みとしか受け取られかねません。


刑事告訴の対象となった二審判決は当然非難されるべきものであるとしても、それだけにとどまらず、一審判決まで、自信たっぷりに私が批判するのには、それなりの理由があるからなのです。

それは、裁判が途中から合議体になり変則的であったことに加え(詳細は後述)、裁判長と担当裁判官との意見の食い違いが、はっきりと読み取れたからなのです。

二審については、たった一度の口頭弁論で結審となりましたので、裁判の流れを把握する機会はなく、どのような経緯で判決に至ったかは、まったくわかりませんでした。
ところが、一審は、5回の口頭弁論、3回の弁論準備手続き、証人尋問、判決という経緯を辿りましたので、その裁判の進行状況、裁判官の発言や表情、被告当事者や代理人の様子などから、それぞれの裁判官の考えや裁判の成り行き、判決に至る流れが読み取れました。
また、裁判が始まった当初は単独の裁判官で行われており、裁判の方向性がほぼ決まりかけたところで、その裁判官が転勤になり、それ以降は、新たな3人の裁判官の合議体で行われました。


素人であることに配慮してくださった裁判官がいる一方で、提出した書面を本当に読んでくれたのかどうかと疑問を感じた裁判官、裁判長と担当裁判官との判断の隔たり・・・・・
(これまで、国家賠償訴訟については、大局的な見地から論じることが多く、私の裁判にかかわった裁判官のほとんどがヒラメであるかのような印象をもたれている方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。)
さらに、一審判決に至るまで1年9ヶ月を要したわけですが、判決直前までの裁判の流れとは、まったく異なる予想外の判決、さらに、最も想定外の証拠の採用・・・・・
一審の福島地裁いわき支部判決には、様々な要素が含まれていて、判決に関しては不信感と疑問ばかりが残りました。


その疑問のひとつは、合議体で裁判官の判断が異なったとき、いったい誰の判断が優先されるのでしょうか(?)ということです。
裁判長の判断であるのか? それとも、提出された書面や資料にていねいに目を通した担当裁判官の判断であるのか?


私の一審では、裁判長の判断が優先されました。
そして、それは、裁判で国が提出した資料等から労働基準監督署を巡る一連の事件の真相を知ることができた私にとっては、真相とまったく相反する判決であったのです。
つまり、裁判で提出された国の書証等から、事件の真相を、私は、ほぼ把握することができたわけですが、裁判所の判決は、まったく真相を捉えていなかったということになります。


このような結論に至ったことについては、合議体の裁判の意義についても疑念を抱かざるを得ません。
もしかしたら、不当判決の責任を分担するために存在するのではないかと・・・

そうなると、裁判員制度も、死刑判決のような重大な責任を国民に押し付けるための制度ではないかと思えてなりません。
 
 一審の裁判における詳細については、次回から、数回に分けてお伝えしたいと思います。

最高裁からの郵便物って とっても変なんですよ! みなさんのは大丈夫?

06/03
このところ一審での裁判の経緯についてお伝えしてまいりましたが、今回は、そちらはちょっとお休みして別の話題をお伝えします。

国家賠償訴訟の実状を多くの方に知っていただきたいと思いブログを始めましたが、日頃たくさんの方にアクセスしていただいて、記事に対する拍手や温かい応援のメッセージをいただき感謝しております。
また、特に不当な裁判を受けられた方や、現在も係属中の方などからは、貴重な体験談や有益な情報を提供していただきありがとうございます。
私自身、そのような情報に触れるたびに、新たな発見があったりして、自分の裁判をもう一度見直すきっかけになっています。


そのような提供された情報に関連してあれこれ調べていたところ、あるサイトの情報で、ちょっと気になることがありました。
それは郵便に関することなのですが・・・・


私の裁判でも思い当たることがありましたので、もしかして、私のはどうなっているのだろう(?)と思い、捨てずにまだ持っていた最高裁判所からの郵便の封筒を出してみたのです。
といいましても、最高裁第3小法廷から19年10月に届いた記録到着通知書が入れられていた普通郵便の封筒と、翌月の11月に届いた調書(決定)が入れられていた簡易書留の封筒のふたつだけですが。


よく見ると、消印が変なんですよ
普通郵便の方は、 「丸の内」 の消印になっているのに、もう片方の簡易書留の消印は 「最高裁判所内」 の消印になっているのです。

それらの封筒の中に入っていた記録到着通知書と調書に記載されている書記官の名前は、どちらも同一の書記官になっているにもかかわらず。

不審に思ったので、最高裁判所内郵便局に問い合わせてみたところ、書留とか普通郵便でも直接窓口に出した郵便物は、「最高裁判所内」 の消印が押されるということでした。
ただ、最高裁判所内であってもポストに投函したものについては、 「銀座」 の消印がつくということで、 「丸の内」 の消印は押されないそうなのです。
どうも変なので、東京中央郵便局丸の内分室にも問い合わせてみたのですが、最高裁判所内で投函された郵便物に 「丸の内」 の消印が押されることはないそうなのです。


ということは、記録到着通知書は、最高裁判所ではないところから出されたものということになると思うのですが・・・・

それで最高裁判所に電話で問い合わせてみました。

私  「記録到着通知書は、最高裁判所から出されるものですよね?」
職員 「はい、そうですけど。」
私  「記録到着通知が入っていた封筒には丸の内の消印が押されているのですが、そちらの裁判所の区域ではないんじゃないですか?」
職員 「そうですけど・・・。(なんかトーンダウンしたように感じました。)
調べてみますので事件番号は・・・・。」

しばらく待たされて、

職員 「遅くなったときには、他の区域から出すこともありますが。」
私  「でも、投函されたのは12時から18時の間ですので・・・・。裁判所内にもポストがあるのに他のところから出すのはおかしいですね。」
職員 「・・・」

その後も、いくつか言葉を交わしましたが、歯切れが悪く、合理的な説明はまったくされませんでした。

 これは何かおかしいです。
  何かありそうです。


 みなさんの郵便物は大丈夫ですか
 是非、確かめてみてください。
 

最高裁判所内郵便局員の説明は まったくの嘘でした!

06/08

前回に引き続き、最高裁からの郵便物の消印についてお伝えします。

最高裁第3小法廷から19年10月に届いた記録到着通知書が入れられていた普通郵便には、「丸の内」の消印、翌月の11月に届いた調書(決定)が入れられていた簡易書留には「最高裁判所内」の消印が押されていました。
不審に思い最高裁に問い合わせてみたところ、職員の説明が曖昧で、何か重大な秘密が隠されているのではないかという印象を受けたというのが前回の要旨です。


このことに気がつくきっかけとなったのが、私のブログを読んでくださっているイノシシさん(ご本人希望のニックネームです。)の存在です。
私と同じように不当な裁判を受けられたイノシシさんから、ある情報がもたらされました。
そのことに興味を持った私が、ネットであれこれ調べていたところ思い当たったのが上述の消印のことです。
さっそく、イノシシさんに伝えたところ、消印のことについて調べてくださったのです。
そして、私も、最高裁や郵便局に問い合わせ、独自に調べてみたのです。


76 イノシシさんと私の調査結果の相違点と共通点から、ある重大な疑惑が浮かび上がってきました。

相違点として挙げられるのが郵便局の説明です。
最高裁判所内郵便局の窓口に出した郵便物については「最高裁判所内」の消印が押されるということについては、どちらに対しても同じ説明だったのですが、最高裁判所内のポストに投函した場合については説明が異なるのです。
イノシシさんに対しては、そのポストを管轄する郵便事業株式会社の麹町支店の消印になるという説明でしたが、私に対しては銀座支店の消印になるということでした。私が、「麹町支店ではないのですか。」と念を押したところ、配達するのは麹町支店であるが、集めるのは銀座支店だという説明でした。


それで、翌日、イノシシさんが麹町支店の集配課に問い合わせてくださり、次のことがわかりました。

● 麹町支店は郵便物の集配も行っていること。
● ポストに投函された郵便物など集める地域は郵便番号の上3桁が〒102の地域であること。
● 集める地域も配達する地域も上3桁が〒102の地域であること。


そうしますと、最高裁判所の郵便番号は上3桁が〒102ですので、麹町支店ということになります。

そのころ、私もネットを駆使して郵便番号について調べてみたのですが、下記のようになり、麹町支店の集配課の説明を裏づける結果が、得られました。

郵便番号は複数のサイトで公開されていますが、 “goo郵便番号”(http://postcode.goo.ne.jp/prefecture/%C5%EC%B5%FE%C5%D4/)では、一覧で見られるのでわかりやすいです。
それによると、郵便番号の上3桁は、次のようになっています。


● 東京都千代田区丸の内                〒100-
● 東京都千代田区麹町                 〒102-
● 東京都千代田区隼町(最高裁判所の所在地)  〒102-
● 東京都中央区銀座                   〒104-


また、Wikipediaの 『郵便事業銀座支店』 を見てみると、
「2007年(平成19年)10月1日の民営化時点では中央区・港区の一部の集配業務を受け持った支店であったが、2008年(平成20年)5月7日に丸の内支店の郵便区(集配業務)を当支店に統合したため、千代田区の一部(郵便番号上3桁が100の地域)の集配業務についても受け持つことになった。」
とあります。


ということは、銀座支店が千代田区隼町にある最高裁の郵便物を扱うことはありませんし、また、私に記録到着通知が届いたのは、2007年10月ですので、この時期には丸の内支店の郵便物は、まだ銀座支店では扱われていなかったということになります。

つまり、以上のことから、最高裁判所内のポストに投函された郵便物の消印は、“丸の内”でも、“銀座”なく、“麹町”ということになります。

359 そうしますと、最高裁判所内郵便局員の説明は嘘だったということになります。

なぜ、私に嘘の説明をしたのかということについて、イノシシさんがおっしゃるには、私の場合は、問い合わせの際に「不審な郵便物があった。」ということを言ってしまったので、警戒して嘘をついたのではないかということでした。
聞き方にもテクニックがあるのですね。


郵便番号と最高裁からの郵便物の消印との相関関係はまったくないということから、みなさんは、どのようなことを考えますか362

イノシシさんと私は、次のような考えで一致しました。

 記録到着通知書は、最高裁判所以外の場所で、記載されている書記官ではない人物によって作成され投函されているのではないか。
 最高裁裁判所からの郵便物は、通常のルートとは違う、ある特別なルートで集配されているのではないか。
 最高裁判所と郵便局の間には、共通の重大な秘密があるのではないか。

314 世の中には、ネット上で知り合った見ず知らずの他人同士が、殺人事件を起こしたなんて、とんでもない事件がありますが、イノシシさんと私の場合は、ネット上で知り合った面識のない者同士が、国家の不正を暴いたなんてところまで、あと一歩かもしれません。

記録到着通知書! 押印が先ですか or 印刷が先ですか?

06/15
前回、前々回と最高裁からの郵便物の消印についてお伝えしたところ、大きな反響を呼びつつあるようです。
記事を読んでくださった方から、いくつかの情報が寄せられましたので、それに基づいて考察してみたいと思います。


郵便物を集める地域、配達する地域は郵便番号の上3桁により分けられ、最高裁判所内のポストに投函した郵便物であれば、麹町支店の消印でなければならないというのが、前回の結論です。

最高裁判所の所在地と消印が一致していないことを最高裁に問い合わせた際、説明が曖昧であったこと、最高裁判所内郵便局員の説明が、イノシシさんと私それぞれに対して違っていたことなどから、イノシシさんと私は次のような考えで一致しました。

 記録到着通知書は、最高裁判所以外の場所で、記載されている書記官ではない人物によって作成され投函されているのではないか。
 最高裁裁判所からの郵便物は、通常のルートとは違う、ある特別なルートで集配されているのではないか。
 最高裁判所と郵便局の間には、共通の重大な秘密があるのではないか。

前回、前々回の記事を読んでくださった方から、消印について、いくつかの情報が寄せられました。
いずれも記録到着通知書が入れられていた最高裁から届いた普通郵便の消印です。


Aさん     2005年(平成17年12月)  中央  
Bさん(私)  2007年(平成19年10月)  丸の内    
Cさん     2008年(平成20年9月)   銀座  
 
記録到着通知書を作成した書記官が、最高裁判所内のポストには投函せず、外部に持ち出して外部のポストに投函したというのは、極めて不自然です。
また、最高裁判所内のポストに投函された郵便物であるならば、「麹町」の消印が押されていなければならないのに、それとは異なる3つの郵便局の消印が存在しています。


これらのことから、上述の①と②の可能性につて検証してみたいと思います。

最高裁判所の所在地である〒102の地域の麹町支店の消印が押されていないにしても、仮に、ある特定のひとつの郵便局の消印に限定されているのであれば、最高裁の郵便物は、ある特別なルートで集配されるという②の可能性が考えられますが、今のところ3つの郵便局の消印が確認されていますので、②は否定されます。

ということは、①の可能性が濃厚になるわけですが、記録到着通知書は、書記官以外の人物でも簡単に作成できるものなのでしょうか?

記録到着通知書は、事件番号、当事者、担当の小法廷等を変えれば、どの事件にも通用するような定型の書式に、書記官の公印が押されたものです。
印刷の部分は、誰でも作成できますので、書記官の公印さえあれば、誰にでも作成可能ということになります。
書記官の公印は裁判所の備品ですから、外部に持ち出すことは不可能だと思いますし・・・・・
それで、予め書記官の公印が押されただけの用紙があったとしたらどうでしょうか。
押された公印の上に印刷をするとしたら。


このことを裏づけるような情報を、遂犯無罪さん がネット上から見つけて教えてくださいました。
あるサイト(http://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/26998501.html)の抜粋です。


最高裁からの決定は、書記官の名前の活字の一部分をピンセットで軽く削ったらなんと、下から印の朱色が現れました!!
先に白紙の紙に最高裁書記官の印だけもらって、郵送してもらい、クビにしたバカ弁がその印に書記官の名前が重なるよう、勝手な決定文を作成し、送りつけてきたものである。

466 これは、調書(決定)についての記述ですが、記録到着通知書も、この方法で、最高裁以外の場所で、記載されている書記官ではない人物によって作成されている可能性があるかも知れません。


ただし、詳しく調べたわけではありませんので、朱肉と印刷のインクでは、それらに含まれる溶剤の種類や色素の粒子等の大きさもそれぞれ異なると思いますし、紙に着色する際のインクや朱肉それぞれの紙に対する浸透性が異なると思うのです。
たとえば、先に印刷がされていたとしても、朱肉のほうが紙への浸透性がインクより高ければ、朱肉の色が紙の深部まで浸透し、インクの下に色素が確認できるのではないかと。
(わかりやすい例では、防水機能のように、下に塗られているものが、後から上に塗ったものを全く通さないということが確認されていない限りは)
ですから、ビジュアル的に見ただけで安易に決め付けることは不適切ですが・・・・


416 印刷が先か、押印が先か、よ~く観察してみましょう。 

まったく信用できない構成の最高裁調書!

06/21

最高裁から送られているはずの記録到着通知書の封筒の消印が、最高裁の所在地の消印と一致していませんでした。
ブログの読者の方が調べてくださったところ、中央、丸の内、銀座の3つの消印が確認されていることから、記録到着通知書は、裁判所以外の場所で、記載されてる書記官ではない人物によって作成され、投函されているのではないかという疑惑が浮かび上がってきました。
それで、予め書記官の印が押された用紙さえあれば、後から文面を印刷し、誰でも簡単に記録到着通知書を作成できるのではないかと考えたのです。


前回、このような内容の記事を掲載したところ、さっそく、期日呼出状ではありましたが、押印のほうが印刷より先であったというかなり具体的な情報が、 「発見!押印が先の期日呼出状」 というタイトルで蟻子さんから寄せられました。
そして、その中で蟻子さんは、

『なぜ書記官は白紙の紙に公印を押さなければならなかったのか?
作成権限のない者に作成させる目的でしか考えられない。』

と書かれています。
まさに、私も、その目的以外には考えられないと思います。


それにしても、地裁から高裁へ訴訟記録が到着したときには、わざわざ“記録が到着しました。担当は第○民事部です。”なんてお知らせがないのに、最高裁だけ、どうしてお知らせするのでしょうかね。
上告しているんだから、“届いて当然でしょ”って思ってしまいますが。
消印の一件もありますし、かえって、本当に届いているのか怪しく思えます。
届いていたとしても、実際に中身が読まれているかは、はなはだ疑問ですが・・・・


このような疑いを持たれても当然ともいえるような事実を、前回の記事にコメントをくださったバイオレットさんが気づかせてくださいました。
それは、最高裁の調書(決定)に押されている㊞のゴム印のことです。
バイオレットさんのコメントには、「最高裁判所からの決定の通知ですが、タイトルは調書(決定)で右上に裁判長認印という印鑑を押す欄があるのですが、そこには三文判より小さい大きさで○の中に印と書かれた黒色の印が捺してあるのです。」とあります。
“私のも、そうだった”と思い、届いてチラリと目を通したきり、裁判資料といっしょにファイルに綴じておいた調書(決定)を見てみました


私の場合、調書は2枚になっており、一枚目には、枠で仕切られた中に、事件番号、決定日、裁判所・・・・、そして、決まり文句の主文と理由、書記官の記名、2枚目には、「これは正本である。」という文言と書記官の記名押印があります。

問題は1枚目の印のことですが、枠の右上に「裁判長認印」という欄があって、ここと、最後の書記官の氏名の後の2か所にに、黒のゴム印で㊞と押されているのです。
私も、初め見たときビックリしました。何しろ、どこにでもありそうなゴム印ですから。
1枚目についていえば、主文や理由も決まり文句ですし、裁判資料の中身に目を通さなくても書けるような項目ばかりですし、記載されている裁判官が確かに決定をし、担当の書記官が実際に作成したものであるということを認めるものが何もないのです。
つまり、1枚目に関しては、裁判所の書記官でなくても、どこかで誰かが作成することも可能なのです。

そして、2枚目においても、「これは正本である。」と、「これは」という指示語が使われており、事件番号とか「これは」に当たるものが何であるかは、この用紙からは全くわかりません。
しかも、1枚目と2枚目にページ数が打ってあるとか、割り印が押してあるとか全くないので、これら1枚目と2枚目のつながりを証明するものもないのです。


地裁や高裁の判決書も調べてみたのですが、判決書には1枚目からページ数が打ってありますが、一番最後に添えられている、「これは正本である。」という書記官の記名押印がされた用紙には、ページ数が打たれていませんでした。
しかし、一審と二審では、書記官が裁判に立ち会いますし、私の場合のように、判決の内容にかなりのデタラメが含まれていたとしても、裁判官が資料を読んで事件ごとに個別に作成したものであるということがわかりますが、最高裁の調書(決定)に関しては、どこで誰が作成したものであるのか、まったく信用することができない書面の構成となっているのです。


さらに、“信用できない書面である”ということを後押ししてくれる材料として、調書の1枚目と2枚目の用紙の紙質が違うのです。
このことについては、やはりブログの読者の方から情報提供がありました。
見た目には、同じ用紙のようでありましたので、本当なのかと思い、よく見て触って確かめたところ、明らかに用紙の種類が違っていました。2枚目の用紙のほうが、手触りが滑らかで上質な紙であることがはっきりとわかります。


ですから、最高裁の調書は、1枚目と2枚目を別々の場所で作成して、綴じ合わせているのではないかという疑いを持たれたとしても、それを否定するだけの理由を何ひとつ具備していないのです。
 こんな書面、まったく信用できません。

郵便の新たな不正発見! ~信用できない書留番号検索~

06/28

最高裁から送られてくるはずの記録到着通知書の封筒の消印が、最高裁の所在地の消印と一致していないことや、そのような消印のことについて最高裁に問い合わせた際、職員の説明が曖昧であったことなどから、記録到着通知書は、最高裁の書記官ではない人物によって作成され、投函されているのではないかという疑念を抱きました。
そこで、記録到着通知書が、最高裁の書記官により作成され、最高裁から送られたものであるかを確認するため、以前ご紹介したイノシシさんと私は、ある実験をしました。


どのような実験であったかといいますと、実際に裁判所内の郵便局から郵便物を送り、その郵便物の流れを調べました。

実験は、大きくふたつに分けられます。
ひとつ目は、郵便物を裁判所内のポストに投函し、普通郵便として送り、消印を確認しました
ふたつ目は、裁判所内郵便局の窓口から書留として送り、日本郵便のホームページにある書留番号検索を利用して、郵便物の流れを追跡しました。
これらのふたつ方法について、比較対照のために、最高裁判所と東京高等裁判所の2箇所から郵便物を送り調べてみました。


その結果、郵便の信頼を損なうような重大な事実が判明しました。
客観的根拠に基づく事実は、おおよそ次の3つです。

① (最高裁判所から送った普通・書留郵便について)
日本郵便のホームページにある「お届け日数を調べる」に最高裁判所の郵便番号を入力して検索すると、差出元として麹町支店が表示されるが、普通郵便には銀座の消印が押され、書留検索結果には、取扱店名として銀座支店が表示される。

※ ホームページの「お届け日数の検索結果」の表示がデタラメであるか、あるいは、郵便物が正規の配送ルートに沿って運ばれていない可能性がある。

② (東京高裁から送った普通・書留郵便について)
日本郵便のホームページにある「お届け日数の検索結果」では、翌日の配達になっているが、実際には、翌々日に配達された。
不思議なことに、同日、同じルートで東京高裁内郵便局から同じいわき支店に届いた書留は、翌日に配達されている。


※ 郵便物が、ホームページの「お届け日数の検索結果」の表示通りの配達がされていない。
公平性に欠ける対応である。


③ (最高裁内郵便局・東京高裁内郵便局から送った書留について)
③については書留番号検索を利用して、郵便物の流れをリアルタイムで追跡していたからこそ判明したことであるが、 「状態発生日」の日時に、本来なら表示されるはずのない未来の日時が表示されている。

具体的には
● 最高裁から送った郵便物につて、24日18:36の時点で検索したところ、最新状態の詳細で24日21:45銀座支店発送の表示がされた。

最高裁縮小

● 東京高裁から送った郵便物について、24日21:17の時点で検索したところ、最新状態の詳細で24日22:40銀座支店発送の表示がされた。
高裁銀座縮小

● 東京高裁から送った郵便物について、25日08:36の時点で検索したところ、最新状態の詳細で25日11:55郡山支店発送の表示がされた。
高裁郡山縮小


 書留検索結果に表示される「状態発生日」 「最新状態」 「最新取扱店名」などは、予定が表示されている可能性もあると思い、郵便局に問い合わせてみたが、これらは予定ではなく、現在の状態を表示しているということであった。
そういえば、書留が届けられたとき、配達員が、コンビニやスーパーのレジにあるようなバーコードの読み取り機(正式には何というの?)を封筒に張られたバーコードに"ピッ”とかざすと、それが検索結果に反映されるので、本来なら、未来の時刻表示などありえないはずである。

実際の郵便物の流れと、書留検索の表示が一致していないということは、郵便物の配送ルートとは違うところで、その動きとは無関係に配送表示だけが操作されている可能性がある。
仮にそうであるならば、書留検索結果に表示されている取扱店を実際に経由しているのかどうかも疑わしいことになる。


 郵便のスペシャリストともいえるイノシシさんとのコラボレーションで、驚きの事実が判明しました。

 これって、もしかしたら、かんぽの宿や障害者郵便に続くともいうべき、郵便の新たな不正発見かも知れません。

 

行政改革と真の司法制度改革、同時進行で行わなければ効果半減よ!

09/08

前回の記事 「『国家戦略局』のほかに『司法監視局』なんてのは、どうかしら?」 へのコメントには、たくさんの情報を提供していただきました。
ところが、残念なことにコメントの部分は、本文に比べて読まれる頻度が低いようですので、今回の記事でいくつかご紹介します。
重複する箇所がありますが、ご了承ください。

その情報の多くは、記事中の下記の部分に共感されてのことだと思います。

「行政の対応に過失や違法性があったとしても、その責任を問われることがないこと(たとえ訴訟に発展したとしても結果は判っており、国が敗訴して責任を負わされる可能性がほとんどないこと)を熟知している行政は、自らの過失や違法性を指摘され、行政自身もそれらを認識しているにもかかわらず、決して非を認めようとはしませんでした。
そればかりか、裁判においても、虚偽の主張を繰り返したり、自分たちに都合のよい証拠を捏造して提出をするなど、違法な手段を用いてまで、行政の正当性を主張し続けるというようなことを平気でしました。
それに対し、原告の私が、客観的な証拠を提示して反論したり、行政の主張の矛盾を多数指摘したとしても、裁判所は一切無視し、国に有利な判断を下しました。」


不当な裁判を受けられた多くの方々から、たくさんの情報が寄せられますが、これらを拝見しますと、刑事事件にしても民事事件にしても、国や行政が相手となる裁判には、ある共通した特徴があります。
それは、行政による証拠の捏造、虚偽の証言、そして、客観的証拠を無視した合理性の欠落した判決と三拍子そろっていることです。

この種の三拍子そろっている典型的な事件が、ミラクルヤンさん から情報提供がありました「高知白バイ衝突死事件」です。

(高知白バイ衝突死事件)
2006年3月に高知で、白バイがスクールバスに衝突し、白バイの巡査長が死亡した事件です。
スクールバスに乗っていた生徒全員と、直後を走っていた校長先生は、バスは止まっていたと証言しているにもかかわらず、裁判では、その証拠を採用せず、バスのブレーキ痕などの警察が捏造した可能性のある証拠から、スクールバスの運転手の有罪が確定した事件です。


http://www.news.janjan.jp/living/0801/0712318233/1.php


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%99%BD%E3%83%90%E3%82%A4%E8%A1%9D%E7%AA%81%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E6%95%85

日本の司法の腐敗を物語っている象徴的な事件であるといえます。

 なぜ、このような司法のデタラメがまかり通るのでしょうか

その手がかりを、私の裁判から垣間見ることができました。
全ての裁判官が偏向した判断をするわけではなく、良心的な裁判官がいる一方でヒラメ性を発揮する裁判官もいることは前にもお伝えしましたが、私の経験からすると、これには、ある傾向があるようです。


比較的若手の中堅ぐらいの裁判官は、裁判資料に忠実に審理し妥当な判断をしようとするようですが、裁判長クラスや、高裁の比較的経験を積んだべテランの裁判官ほど、裁判資料を無視し、初めから結論ありの裁判をする傾向にあるようです。

そして、この傾向は、ヒラメ裁判官について知るにはバイブルとでもいうべき「裁判が日本を変える!(生田暉雄著、日本評論社)」に書かれていることと一致するのです。

 大まかな内容は、ある一定の時期までは、どの裁判官も一定に昇給していくが、それ以降は、昇給にかなりの差異がでてくる。
また、「陽の当たる場所(大都市)」ばかり転勤する者と「ドサまわり」の者に分かれる。
そして、このふたつの操作によって、正義など無縁の裁判がまかり通る。
つまり、 「正義を重視する良心的な裁判官は昇給に不利で、ゴマスリ裁判をする反民主的裁判官は早く昇給する」 と書かれています。


ですから、その年齢に差し掛かるベテランの部類の裁判官は、結果を出そうとして打算が働くのではないかと考えられるのです。
そのようなことは、弁護士がついている裁判より、本人訴訟のほうがやりやすいので、標的にされるのではないかと思うのです。


 つまり、最高裁が国や行政に有利な判決を望んでいるということがうかがい知れ、ヒラメ裁判官が最高裁のご機嫌を伺うような判断をするために、裁判がほとんど形骸化しているのです。
自由心証主義の下に、客観的証拠に基づかないいいかげんな事実認定や判断が横行し、デタラメな裁判がされているのです。
そして、裁判所がそのような偏った判断をすることを熟知しているからこそ、検察も弁護士も、そして行政もいいかげんなことをするのです。


 このような民主国家とは到底いい難い司法の構図は、今すぐ絶ち切らなければなりません。
その最も効果的な方法は、“裁判を正すこと”ではないでしょうか。
そのために、ひとつは最高裁自らが官僚的意識を変えること、そして、もうひとつは裁判所の判断を第三者がチェックし、不適格な裁判官にはペナルティーを科すなどの仕組みを構築することが、今すぐ必要なのです。


 行政改革と真の司法制度改革、これらを同時進行で行わなければ、民主党政権の力量も半減します。


不正裁判と郵便 1

02/18
ブログの記事がいかがわしいサイトにコピペされている件で、日本郵政が関与していることが明らかになりましたが、郵政だけにとどまらず、裁判所のかかかわりについても疑われます。
それは、前回お伝えした下記の3つのことに加え、さらに4つ目の要件が加わるからです。


 国家賠償訴訟において、控訴人(私)の主張をねじ曲げ虚偽のことを判決書に記載したということで、3人の裁判官が虚偽有印公文書作成で立件された仙台高等裁判所(検察は恣意的な判断で根拠もなく不起訴処分としましたが)の郵便物を扱った仙台中央郵便局(?)がかかわっていること。
 当初の段階でコピペされていた記事が司法批判の記事が中心であったこと。
 郵政が組織的に隠蔽を図っていること。

次のことが、新たに加えられる要件です。
 コピペが下記の2つの記事以降から始まったこと。
● 最高裁判所と東京中央郵便局との怪しい関係!
(2009/08/21 Fri 10:30 郵便)
● 最高裁の郵便、もしかしたら財務省内分室がかかわっているの?
(2009/08/27 Thu 18:56 郵便)

最新の記事20個が表示されるRSSリーダーからコピペされていた可能性が高いのですが、これらの記事がコピペされていることに気がついた12月初めには、RSSリーダーには、これ以前の記事から表示されていたにもかかわらず、なぜか、上記の記事を筆頭にコピペが始まっているのです。
しかも、タイトルのとおり、郵便と裁判所の関係を伝える記事なのです。


そもそも、私が郵便と裁判の関係を不審に思うようになったのは、今回のコピペのことが原因ではなく、最高裁から届いた郵便物の消印がきっかけでした。
最高裁判所第3小法廷から19年10月に届いた記録到着通知書が入れられていた普通郵便の封筒は「丸の内」の消印であるのに、翌月の11月に届いた調書(決定)が入れられていた簡易書留の封筒の消印は 「最高裁判所内」の消印になっているのです。
ちなみに、日本郵便のホームページにある「お届け日数」の検索で差出元の郵便番号に最高裁第3小法廷の封筒に記載されている郵便番号を入力すると「差出元」として「麹町支店」が表示されます。

事実関係が明らかにおかしいことは確かなのですが、さらに不信感を増幅させたのは、そのことを問い合わせた際の最高裁の職員の説明にまったく合理性がなく、歯切れの悪い様子であったことでした。
“これは何かあるな”と、直感しました。
詳しくは、こちらをご覧ください。

「最高裁からの郵便物って とっても変なんですよ! みなさんのは大丈夫?」


消印のことに関連し、バイオレット様から、昨年末に、興味深いコメントをいただいておりますので、一部抜粋してご紹介します。

実は、私の最高裁からの封筒の30円の切手がわざと消印が外してあるのです。
何故そのようなことをするのかを推測いたしますと、ほとんどの人は切手を再利用すると思います。切り取るか水に浸けてはがして使うかどちらにしても消印が消えたり封筒が捨てられたりします。
それで消印の証拠が消えてしまうのを目的にしてわざと押していないと思うのです。
私のは、明らかにわざと30円切手を避けて消印が押されております。

残念ながら、私の封筒の切手には、すべて消印が押してありましたが、このような方は他にもいらっしゃるようです。
みなさんのは、いかがでしょうか。


 どうやら不審な消印が、ポイントのようです。

 今回お伝えしたことは、不正裁判と郵便の関係についての仮説をご理解いただくためには、是非、ご留意しておいていただきたいことです。

 続きは、次回にします。
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不正裁判と郵便 2

02/24
前回の続きで、不正裁判と郵便の関係の2回目になります。

二審の裁判までは、口頭弁論が開かれ、それぞれの事件ごとに判決書が作成されますので、たとえ判決にデタラメが記載されていたとしても、裁判が行われたことは誰の目からも明らかです。

ところが上告については、どうでしょうか?
私の国家賠償訴訟に関していえば、本当に最高裁で判断されたものであるのか、まったく信用することができません。
それは次のような理由からです。


 二審判決では、判決の趣旨に合致するように、控訴人(私)の主張をねじ曲げ、虚偽のことを判決理由として記載されたので、そのことを上告の際に指摘したが、最高裁は、訂正することなく違法性のある二審判決を確定させた。
 最高裁から地裁に戻ってきたとされる裁判資料を閲覧したところ、一審、二審で提出した書面には、用紙に、めくった時にできる細かい起伏があって、確かに裁判官が裁判資料を読んだということが確認できたが、上告の際に提出した上告受理申立理由書の用紙は、しわひとつなく、用紙と用紙の間に空気が入り込む余地もないくらい密着していて提出した時の状態のまま、まったく読まれた痕跡がない。
 最高裁から届いた調書(決定)は、いわゆる「三行判決」と呼ばれるもので、事件番号や当事者の名前などさえ変えれば、どの事件にも通用するようなものである。
しかも、2枚目が書記官の認証になっているものの、1枚目は、裁判長の認印も書記官の認印も黒の㊞(○の中に「印」の字が書いてある。)のスタンプ式のゴム印のような印鑑が押されているだけて、どこの誰によって作成されたものであるのか、全く信用できない書面になっている。
1枚目と2枚目のつながりを示す「裁」のパンチ穴も、地裁、高裁、最高裁のいずれも穴の位置がピッタリ重なり、最高裁のものとは断定できない。


このような事情に、さらに絡み合ってくるのが、郵便の問題です。
記録到着通知書の配送には、民営化以前から最高裁判所の集配地域とは無関係の東京中央郵便局がかかわっており、郵政民営化の流れとともに、東京中央郵便局→丸の内支店→銀座支店 と、最高裁の郵便物を扱う郵便局が変遷しているのです。(詳しくは、 「最高裁判所と東京中央郵便局との怪しい関係!」 )
さらに、先年末からの、ブログがいかがわしいサイトへコピペされている件で、仙台中央郵便局のかかわりも疑われます。
ですから、最高裁の郵便物には、何か特別な事情があるようなのです。


ウィキペディアの「三行決定」の項目には、次のような記述があります。
「元最高裁判事の伊藤正己(学識経験者出身)によると、最高裁の判決・決定の9割以上が三行判決(三行決定)ということである。」

ですから、私の裁判だけが特殊なケースであるとは、到底考えにくいのです。
それぞれの事件によって事情が異なりますが、年間数千件もの事件が最高裁に上告され、その大部分が三行判決ということは、上告される事件の大部分は、二審までの裁判の中身を見なくても作成できるような調書(決定)であるということになります。


そこに、“郵便の不審な流れ”がリンクするのです。
“郵便の不審な流れが活きてくる”と言ったほうが適切かもしれません。

率直に言えば、本当に読まれているかどうかも疑わしいすべての裁判資料が、実際に高裁から最高裁判所に送られているのかという疑問が生じてきます。

そこで、仙台高等裁判所に電話で聞いてみました。

私  「上告する際に予納郵便を納めますが、これは当事者に送る郵便物に
   使われるのですよね。」

高裁 「はい、そうです。」
私  「高裁から最高裁に裁判資料を送る際の送料は、お支払いしなくてよいのですか。」
高裁 「はい、必要ありません。」
私  「最高裁で不受理や却下になった裁判資料も、全部最高裁に送られるの
   ですか?」

高裁 「いいえ、全部送られるわけではありません。」

と、ここまでは、ごく普通に淀みのない会話だったのですが・・・・

高裁 「いいえ、あの~・・・・。ちょっとお待ちください。」

と、突然、待たされてしまったのです。
それも、けっこう長い間。
この中断を境に、どうも会話の流れが変わってしまったのです。


高裁 「お待たせしました。高裁で上告できるものかを判断した上で 
   送られます。」

私  「どれくらいの割合で(裁判資料が最高裁に)送られるのですか?」
高裁 「どれくらいと言われましても、ケースによりますので・・・」
私  「・・・・?」
私  「上告の要件を満たしていなものは(裁判資料を最高裁に)送られない
   のはわかりますが、不受理や却下でも裁判資料が送られるのですか?」

高裁 「はい、送られます。」
私  「じゃあ、全部送られるのですね。」
高裁 「はい、そうです。」

 なんか怪しいです。
 私の仮説、けっこう当たっているかも知れません。


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不正裁判の芽となる民事訴訟法の欠陥

03/25

不正裁判と郵便の関係について、しばらく間が空いてしまいましたが、今回は、もう少し掘り下げて考察してみます。

上告の際の記録到着通知書の封筒の消印がおかしいということから、不正裁判と郵便の関係について、私は、ある仮説を立てていたのですが、それは、丸の内支店などの最高裁の郵便物を扱う郵便局のみがかかわっているというような仮説でした。
ところが、ブログがコピペされた著作権法違反の件に仙台中央郵便局がかかわっていると思われることから、不正裁判にも何らかのかかわりがあるものと考えられ、その仮説を修正する必要が出てきたというところまでは、以前の記事でお伝えしました。
(ここまでのことは、 「日本郵政のタ-ゲットにされた理由」で詳しくお伝えしています。)
そして、その修正の方向性については、 「不正裁判と郵便1」 「不正裁判と郵便2」である程度お伝えしていますが、修正の過程で、裁判の経緯を振り返ってみたところ、ある興味深い事実に気がつきました。
それは、裁判の経緯や事実から気がついたというよりは、その基礎を成す民事訴訟法の欠陥に気がついたといった方がよいかもしれません。


まずは、一審判決から控訴審が開始されるまでの控訴の際の訴訟手続きと、控訴審判決から最高裁の判断が下されるまでの上告の際の訴訟手続きに、ご注目ください。
下記に、私の裁判を例に、比較しやすいように並行して示しました。


(控訴の際の訴訟手続き)       (上告の際の訴訟手続き)

a' 一審判決                 a 二審判決

       2週間以内                ↓ 2週間以内
 
b' 地裁に控訴状を提出          b 高裁に上告受理申立書を提出。
  (民事訴訟法286条)            (民事訴訟法314条)
     
      ↓                     ↓

c' 高裁から訴訟記録の到着の通知   高裁から上告受理申立の通知

       b’より50日以内              cより50日以内

d' 高裁に控訴理由書提出(2通)。    高裁に上告受理申立理由書提出(8通)。
  相手方に送達される。            (民事訴訟法315条)

(民事訴訟規則182条)             口頭弁論が開かれなければ、相手方に  
                          送達されない。(民事訴訟規則198条)

      ↓                      ↓

e'(口頭弁論)                  最高裁から記録到着通知書が届く。
                          封筒の消印が不審であった。
        
                               ↓ eより約1ヶ月

f' 高裁から判決書               最高裁から調書(決定)
                                ↓

                           裁判資料は地裁に戻される。
 

一審から上告に至る一連の裁判の訴訟手続きで、特に問題となるのが上告に関する部分です。控訴審の場合と比較すると、その違いが明確です。
上記のa~gで最も注目すべきことは、d、d’の部分です。

控訴理由書が、実際に審理が行われる高裁に提出するのに対し、上告受理申立理由書は、その判決を下した原裁判所である高裁に提出します。
ここに、裁判の経験から得られた下記の不審点を重ね合わせると、ある疑惑が浮かび上がってきます。

 記録到着通知書の封筒の消印が、最高裁判所の集配地域とは無関係の丸の内支店になっている。(詳しくは、 「最高裁判所と東京中央郵便局との怪しい関係!」
 最高裁は、違法性のある二審判決を訂正することなく確定させた。
 最高裁から地裁に戻ってきたとされる裁判資料を確認したところ、まったく読まれた痕跡がない。
 最高裁から届いた調書(決定)は、いわゆる「三行判決」と呼ばれるもので、全く信用できない書面である。
(①~④の詳細については、 「不正裁判と郵便2」をご覧ください。)

上記a~gのような訴訟手続きと、①~④のことを考慮すると、上告が提起された事件の大部分は、高等裁判所が判断をしているのではないかという疑惑が浮かび上がってきます。
私の裁判でさえ、一審と二審で、原告・被告双方から提出された書面と証拠書類は、分厚いファイル2冊分にもなります。
決定が下されるまでの、わずか1ヶ月の間に、最高裁がそれだけの資料を確認したとは思えません。
しっかり確認した上での判断したのであれば、上記の②のようなことはあり得ません。


仮に、上告すべき事件であるのかどうかの判断を高裁がしているとするならば、裁判資料が、実際に最高裁に送られていない可能性があります。
記録到着通知書の封筒の消印が不審であることからも、裁判資料が最高裁には送られず、dの後、e,fが事務的に遂行されたのを見計らって、高裁から一審の地裁に戻されたのではないかと考えているのです。
それで、これらの過程で、郵政が不正裁判を手助けしているのではないかと、私は考えています。
具体的には、上記のe,f,gにあたる部分において、裁判所からの通知の送付や裁判資料の配送に郵政が関与して、不正裁判の一翼を担っているのではないかと推測しています。


最高裁からの記録到着通知書が届いてから、わずか1か月で上告不受理の決定が下されました。
上告受理申立通知書は8通も提出しています。そのわずかの期間に、多数の裁判官がかかわって判断されたのでしょうか?
しかも、上告の際の訴訟費用は、一審の2倍です。
それに見合うだけの判断がされているとは、とても思えません。


また、上告受理申立理由書は、最高裁で口頭弁論が開かれない限り、相手方に送達されることはありません。
二審判決書にでたらめが書かれていて、上告の際に指摘したとしても、外部に知られることもありません。
二審判決は、でたらめを書き易い条件が調って(ととのって)いるのです。


 上記の訴訟手続きの流れからも明らかなように、民事訴訟法の瑕疵により、不正裁判がいとも簡単に、しかも見かけ上は合法的に行えるようになっているのです。
瑕疵のある民事訴訟法というよりは、不正をしやすいように意図的に法律が作られているといったほうが適切かもしれません。

 国民は、是非、この事実に目を向け、不正裁判の芽を摘み取らなければなりません。

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国家賠償訴訟は民主国家としての体裁を保つためのアイテム!

09/22

何か知りたいことや調べたいことがあるとき、大概のことは、インターネットを利用すれば、必要な情報を得ることができます。個人情報や機密情報が含まれていない限り、お役所関係の情報も例外ではありません。
そのような中、いつ調べても、期待するような情報が得られないものがあります。


それは、国家賠償訴訟の提起件数と、原告(または国)の勝訴率です。
私が国家賠償訴訟を提起する以前の平成17年ごろから、たまに、気が向いたときに調べてみてはいるのですが、いつ調べても、1995年(平成7年)から1999年(平成11年)までの5年間の古い資料しか見当たりません。


ところが、最近、国家賠償訴訟に関する新たな資料を見つけました。資料としては新しいのですが、わずか1年半という短期間のものです。
http://plaza.rakuten.co.jp/heitei48kagawa/diary/200812210009/


参議院議員の近藤正道氏が、平成20年10月に、当時の参議院議長の江田五月氏に提出した「国家賠償法第一条二項に基づく求償権行使事例に関する質問主意書」と、それに対する回答です。
この質問主意書が提出された背景は次のようなものです。


情報公開を担当していた自衛官が、請求者の個人情報をリスト化し、防衛庁内で閲覧していたことが発覚し、これを受け、リストに記載されていた作家と弁護士が、2002年5月、国家賠償訴訟を起こした。
両訴訟においては、いずれも国側敗訴を認める判決が確定し、20年8月には、これを受けて防衛省が国家賠償法第一条第二項に基づき、賠償額を当該公務員個人に求償し、当該公務員がこれを支払った。
この事案については、組織としての防衛庁の関与が強く疑われたことから、個人に対する求償が妥当であったのかどうかを確認するために提出されたものだ。


提出の背景はさておき、驚くべきことは、その中身です。
分かりやすく、要点のみQ&Aの形にまとめてみました。(漢数字は、読みやすく算用数字に改めました。)


--------------------------------------------------------------------------------------------------

国家賠償法第一条二項に基づく求償権行使事例に関する質問主意書

  過去10年間における、国家賠償法第一条の損害賠償請求訴訟が提起された件数を、各年別、各省庁別に明らかにされたい。
 訴訟の全件数については、調査に膨大な作業を要するため、お答えすることは困難であるが、法務省において、平成19年1月から平成20年6月までの間について取り急ぎ調べたところ、平成19年は750件、平成20年1月から6月までの間は600件である。

  ①のうち、国側敗訴判決が確定した件数および賠償額の合計を、各事案の概要(認定された賠償額を含む)と併せて明らかにされたい。
 国の敗訴(一部敗訴を含む。)が確定した訴訟の全件数及びその賠償額の合計等については、調査に膨大な作業を要するため、お答えすることは困難であるが、法務省において、平成19年1月から平成20年6月までの間について取り急ぎ調べたところ、平成19年に確定した右件数は18件、認容された賠償額の元本の合計額は一億3606万7518円であり、平成20年1月から6月までの間に確定した右件数は11件、認容された賠償額の元本の合計額は1561万5933円であった。各事案の概要は、以下のりである(括弧内は認容された賠償額である。)。
(1) 平成19年
 1 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(2万円)
 2 検察事務官が被害者の被害感情等について虚偽の電話聴取書を作成したとするもの(5万円)
 3 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(3万円)
 4 刑務所職員が弁護士の接見を妨害したとするもの(15万円)
 5 旧国立大学総長が情報公開請求について違法な不開示決定等をしたとするもの(40万円)
 6 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(20万円)
 7 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(44万円)
 8 拘置所職員が弁護士の接見を違法に拒否したとするもの(150万円)
 9 刑務所職員の受刑者に対する医療行為に過誤があったとするもの(70万円)
10 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(3千円)
11 刑務所職員が受刑者の所持品を紛失したとするもの(55万円)
12 検察官の公訴提起が違法であったとするもの(196万1039円)
13 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(4万円)
14 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(4万円)
15 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(5万円)
16 国税局職員がした差押え等が違法であったとするもの(31万3479円)
17 旧日本海軍の爆雷の爆発により被害があったとするもの(1億3000万円)
18 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(1万円)
(2)平成20年1月から6月まで
 1 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(4万円)
 2  自動車検査登録事務所の職員に移転登録手続上の過誤があったとするもの(38万9648円)
 3 税務署職員が違法な事務処理をしたとするもの(600万円)
 4 検察官の公訴提起が違法であったとするもの(100万円)
 5 検察官が接見交通権を違法に侵害したとするもの(550万円)
 6 社会保険事務所の公用車が自転車と衝突したとするもの(119万4369円)
 7 地方整備局職員が入札に関して違法な指示をしたとするもの(55万円)
 8 刑務所職員が受刑者に違法な処遇をしたとするもの(5万円)
 9 旧防衛庁の職員が個人情報を開示したとするもの(12万円)
10 入国管理センターの職員が被収容者に暴行したとするもの(58万250円)
11 国税局職員が他人の財物を破損したとするもの(19万1666円)


  ②のうち、国家公務員個人の故意又は重大な過失が認められたものがあればその件数を、故意あるいは重大な過失の別に明示されたい。
 ②についてで述べた29件のうち、判決文において、国家公務員の故意が認められたものは(1)2 及び(2)9 の2件であり、重大な過失が認められたものは(1)5の1件である。

  ③について、求償権を行使したことがあったか。求償権行使の有無それぞれにつき、その理由を明らかにされたい。 
 ③についてで述べた3件のうち、(1)2 及び(2)9 の2件については、違法があるとされた公務員の行為が故意によるものであることが明らかであるとして求償権を行使した。他方、(1)5 については、現時点において求償権を行使していない。

  ③について、行政処分または刑事処分ないしその両方の処分がなされたか。処分の有無それぞれにつき、その理由を明らかにされたい。また、その内容及び確定した結果はどのようなものだったか明らかにされたい。
 ③についてで述べた3件のうち、(1)2 及び(2)9 の2件については、職務上の義務違反等を理由として減給処分を行い、(1)5 については、訓告及び厳重注意の措置を執った。また、(1)2 については起訴猶予により不起訴となったが、(1)5 及び(2)9 の2件については公訴提起されたとは承知していない。

  国家賠償法第一条第二項に基づく求償権の行使について、政府の基本的な考え方を明らかにされたい。
 国が国家賠償法第一条第二項の規定に基づき求償権を取得した場合には、国の債権の管理等に関する法律(昭和三十一年法律第百十四号)第十条から第十二条まで、会計法(昭和二十二年法律第三十五号)第六条等の規定するところに従って、遅滞なく、求償権につき弁済の義務を負う公務員に対してこれを行使すべきものである。


--------------------------------------------------------------------------------------------------  
  
  この資料から、まず最初に驚かされることは、国が、国家賠償訴訟の統計を作成していないということです。
公務員の職務上の行為が適正に行われているかどうかという動向を知ったり、また、国の組織が正常に機能しているかを知る手掛かりともなるべき国家賠償訴訟の統計資料を作成していないということは、国として恥ずべきことであり、近代国家としては極めて不名誉なことです。 
   次に驚かされるのは、原告の勝訴率の著しい低さです。

 
上記の資料を基に、事件数から計算してみると、次のようになります。

【国の敗訴(一部敗訴を含む)率
平成19年       
18件/750件=2,4% 
 原告の完全敗訴率 97,6%
平成20年1月~6月  
11件/600件≒1,8%
 原告の完全敗訴率 98,2%

前述の1995年(平成7年)から1999年(平成11年)までの5年間の古い資料には、次のように記載されています。

国家賠償訴訟の審理期間及び結果に関する統計資料は作成しておらず,最高裁判所が作成している司法統計年報においても同様であることから,資料提供することができない。ただし,最近に判決のあった国家賠償訴訟の結果について調査したところ,国側が全部勝訴した事件の割合は,おおむね90パーセント程度であった。

10年以上前のデータでは、一割の原告の訴えが認められていたようですのが、新しいデータでは、98%前後の原告が、完全敗訴となっています。
これらの数字から言えることは、国家賠償訴訟は、やるだけ無駄と言わざるを得ない状況にあるということです。
私の裁判において、裁判官が違法行為をしてまで(検察は根拠も無く不起訴処分にしました。)国を勝訴させたことに鑑みても、国が勝訴するように、判決が意図的にコントロールされているのではないかという疑念が強まります。


 国家賠償訴訟の統計資料が作成されていない理由のひとつは、このような形骸化している国家賠償訴訟の実態を国民に悟られないようにするためではないでしょうか。

 国形骸化している国家賠償訴訟が、なぜ制度化されているのかといえば、民主国家としての体裁を国内外に示すためのアイテムとして国家賠償訴訟が存在しているに過ぎないと考えるべきでしょう。
ですから、それが適正に機能しているかどうかは、まったく関係ないことなのです。


 統計資料が作成されていないもうひとつの理由については、次回にしましょう。


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司法では フィクションが横行!

09/26
郵便不正事件で、フロッピーディスクのデータを改ざんした大阪地検特捜部の前田恒彦容疑者が逮捕されたことについて、新聞やテレビは検察史上前例のない不祥事などと、こぞって驚きの様子を表現していますが、私は、特別、驚きもしませんでした。
といいますのも、私自身、国家賠償訴訟の二審判決(仙台高裁 大橋弘裁判長)で、判決の趣旨に合致するように、私の主張の趣旨をねじ曲げて判決理由に書かれたということがありましたので、今さら司法のデタラメぶりに驚かされるようなことは何もないのです。


郵便不正事件では、検察の描いた“ストーリー”に合うように、証拠が改ざんされたということが盛んに言われていますが、この“ストーリー”という表現に、しばらく前にアップした記事のことを思い起こしました。

その記事の中で、国家賠償訴訟の証人尋問の際の、国側の証人の証言の様子を、次のように表現していました。
 「国側は、二人の証人が嘘をもっともらしいストーリーに作り上げ、よく暗記したせりふをとうとうと述べているという感じでした。 」 ( 「仕組まれた? 証人尋問」 2008年05月23日の記事より)
また、司法のデタラメ振りを痛感させられた一審判決についてについては、次のように振り返っていました。
「いくら客観的な証拠に基づいて主張を展開しても、裁判官の描いたストーリーにそぐわない原告(私)の主張は、証拠として採用されなかった。
一方、どんなに二転三転する矛盾した主張を繰り返していても、そのストーリーに合う被告(国)の主張は採用された。(福島地裁いわき支部判決 高原章裁判長) 」
( 「小沢氏の政治資金捜査の前に 司法の公平性の検証を」  2010年01月20日の記事より)

無理な筋書きのストーリーであっても、それに合わせて証拠を採用するという正に大阪地検特捜部と同じ手法に、すでに私が気がついていたということがお分かりいただけると思います。
これらが、まったく偶然に起こった出来事であるとは、到底、考えられません。

つまり、はじめに司法に都合がよいストーリーを作り上げ、そのストーリーに当てはまる証拠だけを、たとえ信用性がない証拠であっても採用するという手法は、司法関係者の間では、ごく当たり前に行われていたのではないでしょうか。

初めのページでお伝えしているとおり、理系出身の私は、客観的な実験データ(事実)に基づいて、考察した論理に矛盾がないかを、あらゆる角度から検証を重ね、ひとつの結論を導き出すという手法を常識として捉えていますので、裁判の手法は、実に不可解極まりないものだったのです。

仮に、自然科学の分野でインチキをしたなら、直ちに重大な結果を引き起こし、生命を脅かす事態にもなりかねません。
ですから、自然科学の場合は、十分な検証を重ね正確に判断することが常に要求されます。

その点、司法の場合は、インチキの判断をしたとしても、死刑判決でもない限り、人命にかかわることはありません。そこに曖昧さが入り込む余地が生じ、恣意的に利用される危険をはらんでいるのです。
ですから、司法を監視する機関が、是非とも必要なのです。


大阪地検特捜部の事件で、もうひとつ気になることがあります。
この事件が、証拠を改ざんした検事ひとりの問題なのか、それとも組織全体の問題なのかという点です。
この真相を探る手掛かりになるような出来事が、つい最近ありました。


国家賠償訴訟で、証拠を捏造した労働基準監督署の職員を刑事告訴していたのですが、その告訴状の受理を巡る経緯から組織の様子をうかがい知ることができます。
6月初めに告訴状を提出しようとしたところ、内容を厳重にチェックされた後、上司にお伺いを立て、さらに本庁にお伺いを立てた上で、7月初めにやっと正式に受理されました。
告訴状を提出したのが、福島地検いわき支部ですので、本庁というのがどこを指しているのかは不明ですが、かなり組織の上の方までお伺いを立ててから受理されたことは確かです。

ちなみに、国家賠償訴訟の場合は、法務省の訟務検事が被告代理人を務めますので、下手をすれば身内に火の粉が降りかかることにもなりかねないので、慎重だったのかもしれませんが・・・

ですから、検察組織としての上下の指示系統が確立している様子がうかがえ、証拠の改ざんの事件も、改ざんした検事一人の問題として処理してはいけない問題であると考えられるのです。

そもそも、この郵便不正事件というのは、昨年、小沢民主党政権誕生を阻止するために、犯罪とはいえないような事件で小沢氏周辺を逮捕しまくった一連の事件のひとつであって、検察が組織的に事件をでっち上げているという印象を強く受けます。
ですから、この郵便不正事件に限らず、小沢氏周辺事件をすべて検証する必要があると、個人的には考えています。


ありもしない事件をでっち上げる一方で、明らかに犯罪である事件を握り潰しているという現実を、是非、多くの方に知っていただきたいのです。

中には良心的な裁判官や検察官もいるでしょうし、すべてが悪いというわけではありませんが、組織全体を見渡した場合に、恣意的な捜査や判断が行われており、法の下の不平等がまかり通っていることは事実なのです。
 ですから、証拠改ざん事件を、大阪地検特捜部だけの問題、改ざんした一人の検事の問題として矮小化して捉えるのではなく、検察、裁判所も含めた司法組織全体の問題として検証する必要があるのです。

 前回の予告では、国家賠償訴訟の統計資料が作成されていないということについての続きをお伝えすることにしていましたが、予定を変更いたしました。

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プロフィール

ろーずまりー

Author:ろーずまりー
趣味にスポーツにと、平凡な主婦の生活を送っていましたが、夫の長時間労働を労働基準監督署に相談したことをきっかけに、その生活は一転。行政の理不尽な対応に、自ら国家賠償訴訟をすることに。
理系の出身ですが、知的好奇心に駆られた私は、法律関係の勉強に、けっこうはまってしまいました。
中立性に欠ける国家賠償訴訟の実情を、より多くのみなさんに知っていただきたいと思い、ブログを開設いたしました。

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