FX手数料
Archive | 2008年10月

世界に誇れる日本人研究者のノーベル賞の快挙、司法のみなさんも見習いなさいよ!

10/26
今年のノーベル賞は、南部さん、小林さん、益川さんの3人が物理学賞に、下村さんが化学賞に決まり、日本人研究者の快挙が際立ちました
改めて、日本人の研究レベルの高さを再認識させていただくとともに、同じ国民として、また、かつて、似通った分野に携わった者としてたいへんうれしく思っています。


このような方々の、お話を伺っておりますと、私の恩師のことが思い出されます。
私が、大学の卒業研究で研究室にいた頃のことですが(もう、かなり前のことになってしまいましたが)、昼夜を問わず、ひたむきに研究に打ち込む恩師の姿勢に接し、本当に頭が下がる思いでした。
学生たちの研究、実験に適格な指示を出し、夜遅くまで実験を指導してくださったり、帰宅されてからも、深夜まで文献を読まれたりするということでした。
そして、常に最新の研究成果にもアンテナを張り巡らせ、さらに進んだ領域を探究し続ける情熱には、ただ感心するばかりでした。
短い期間ではありましたが、私も、そのような先生の下で、最先端の研究の一翼を担うことができましたことを、誇りに思っております。


私が、自然科学の分野が、どんな些細な研究であっても純粋に素晴らしいと感じるのは、調査や実験の結果がストレートに結論に反映される世界だからと思うのです。
いいかげんなデータをとったり、インチキの研究をしたのでは、決して結論を導き出すことはできません。
つまり、ごまかしの効かない分野であるとも言えます。


たまに、実験データを捏造してインチキの論文を書いたりする方もいらっしゃいますが、このような分野では、過去の研究成果に基づいて、さらに発展した研究をすることが多いので、再現実験などで同様の結果が得られなければ、インチキは、すぐに見破られてしまいます。
ですから、そういう意味においては、自然科学の世界は、とてもシビアな世界であると同時に、人間の主観の入り込む余地のない、純粋な真理の世界であると思うのです。


それに引き替え、とんだきっかけから裁判にかかわることになった私は、人間(裁判官や官僚)のエゴが渦巻く中で、真実が歪められ、結論が、行き着くべき方向とは程遠いところへ持って行かれ、何の検証もされることなく、一方的に決め付けられてしまうことがまかり通っている司法の世界には、本当にうんざりしています。

私が理系の出身であるからと自然科学の分野をひいき目で見ているわけではありませんが、裁判での体験があったからこそ、これらを対比した場合に、日本の自然科学の世界が、クリーンで高尚な、世界に誇れる先進的分野であると感じている一方、腐敗している司法の世界は、メスを入れ、膿をかき出す必要のある立ち後れている分野であると感じております。

 司法制度のすみやかな改革が望まれますが、それができないのであれば、いっそのこと、“裁判ソフト”でも開発して、条件を入力すれば、ワンクリックで判決が出てくるなんてのは、いかがでしょうか
このほうが、よほど正しい判断をしてくれると思うのですが・・・・・
特に、国家賠償訴訟においては、そうでしょうね


スポンサーサイト

次から次へと噴出する官僚の不祥事、み~んな おかしな裁判のせいなのよ!

10/20
最高裁判所が、なぜ違法な手法で結論付けられた仙台高裁判決を確定させてしまったのか、その原因について、これまで2回にわたって考察してみましたが、一般的な国家賠償訴訟についても共通して言えることは、司法の制度上の問題と、イデオロギーの問題が存在することだと思います。

1 国家賠償訴訟の問題点
(1)制度上の問題
日本の裁判は、三審制を採用しているものの、最高裁が取り扱う事件数と、その処理能力との不均衡を考慮すると、上告しても、適正に処理される事件数は必然的に限定されるものと推測され、そのような状況から、大部分の事件は、実質的に二審判決で完了していると考えられます。
ですから、私のケースのように、二審判決で違法行為や誤った判断があったとしても、ほとんど最高裁で取り上げられることはなく、言い換えれば、二審判決が適正な判断であったのかのチェックがされる機会はほとんどなく、そのことが、恣意的な二審判決を生み出す温床になっていると考えられます。
また、最高裁で口頭弁論が開かれなければ、上告理由書や上告受理申立理由書が相手方に送達されることもなく、そのような法制度が、いいかげんな二審判決が書かれたとしても、外部に漏れることを抑止しているとも受け取れるのです。
さらに、不当な二審判決が、最高裁によって、もっともらしい結論であるかのように確定されてしまうことを可能にしているのが、どの事件にでも当てはまる定型の理由しか書かれていない、つまり、根拠のない上告不受理の調書(決定)なのです。


もっともこのことは、国家賠償訴訟に限らず、私人(私企業)間の民事裁判や、刑事裁判についても言えることだとは思いますが。

(2)イデオロギーの問題
ヒラメ裁判官が、最高裁の意向を察し、国(行政)寄りの偏った判断を下すことは理解できますが、そもそも、なぜ最高裁は、国(行政)寄りの偏った判決を歓迎する必要があるのでしょうか?

国家としての威厳を保つためなのでしょうか?
それとも、国庫から賠償金として支出される都合上、財政上の負担を減らすためなのでしょうか?
個人に支払われる賠償金が、それほど国の財政を圧迫するとは、とても思えませんし・・・・


このことに関して、元判事の生田暉雄氏が書かれた本、『裁判が日本を買える!(日本評論者)』(この本には、ヒラメ裁判官の生い立ちが手に取るように書かれており、ホント、目からウロコでした。)に、その理由について、たいへん興味深いことが書かれていました。
ひとつ目には、治外法権がまかり通り、植民地同様の抑制状態にある沖縄を際立たせないために、本土の権利意識、裁判闘争を抑制するため、そして、ふたつ目は、アジア各地や日本国内の戦後処理問題を押さえるために、裁判を利用しにくくしているのではないかというのが、著者の考えのようです。


2 国家賠償訴訟の形骸化による弊害
(1)欺かれる当事者
国に、どのような事情があるにせよ、私たち国民は、当然、裁判所が公正な判断をしてくれると信頼しているからこそ、多くの時間と費用と労力を費やしてまで裁判に訴えているのです。
はじめから結論が決まっているような裁判であったり、世間の動向や監視の目を意識した裁判官が、マスコミが取り上げ社会的に注目されているような一部の事件ばかりを適正に判断する傾向にあるということを事前に知っていたならば、だれも司法を利用しようとは思いません。
ですから、裁判所が、表面的には公正さを装って訴えを受け入れても、意図的に判決をコントロールしているのであれば、国民を欺いていることになるのです。


(2)行政の機能不全
もうひとつ極めて重要なこととして、このような形骸化された国家賠償訴訟は、裁判所が、行政の恣意的行為や犯罪行為に加担していると言っても過言ではなく、行政の機能不全を引き起こしているということを、私たちは、しっかりと認識しておかなければなりません。

私が、国家賠償訴訟の根拠となった労働基準監督署をめぐる一連の事件を通じ、痛感していることですが・・・・・
行政に過失や違法性があったとしても、その責任を問われることがないことを熟知している行政は、自らの過失や違法性を指摘され、行政自身もそれらを認識しているにもかかわらず、決して非を認めようとはしません。
そればかりか、裁判においても、虚偽の主張を繰り返したり、自分たちに都合のよい証拠を捏造してまで提出をするなど、違法な手段を用いてまで、行政の正当性を主張し続けるというようなことを平気でします。


年金記録の改ざん、汚染米、防衛省の汚職、居酒屋タクシー・・・・
官僚のあきれた実態が、次から次へと噴出してきます。
これらは、すべて、裁判所のゆがんだイデオロギーに基づく、おかしな判決が引き起こしているに違いないないと、私は確信しています。



 今回は、ちょっとまじめに書いたので、堅苦しい内容になってしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

国家賠償訴訟の形骸化の事実を証明します!

10/13
前回に引き続き、なぜ最高裁判所は違法な手法によって結論付けられた仙台高裁判決を確定させてしまったのか、その原因として考えられるふたつ目の可能性について考えてみたいと思います。

ふたつ目の可能性というのは、次のことです。

最高裁が、仙台高裁判決の違法性を認識していたが、最高裁もまた行政寄りの偏った判断を支持し、仙台高裁判決の見直しをしなかった。

(1) 国家賠償訴訟の形骸化の証明
裁判の進行の方向性からいえば、違法な手法で結論付けられた仙台高裁判決に、最高裁が追従したという形になりますが、最高裁が国(行政)寄りの判決を下すようなヒラメ裁判官を養成してきたという歴史的背景から考えれば、仙台高裁の裁判官が、最高裁の意向を察し、それに従ったと解釈するのが自然な流れだと思います。

私のブログを読んでいただいてる方の中には、“ヒラメ裁判官”って、いったい、どんな裁判官のことだろうって疑問に思っている方もいらっしゃると思います。
その意味を知らないと、これから私が申し上げることを理解していただけませんので、ここで、ちょっと説明をつけ加えておきたいと思います。


ウィキペディアの「裁判官」の一節には、

『日本の裁判官の人事は最高裁判所によって行われ、その評価は裁判所内で完結している。ユーザーの企業に対する評価のようなチェック機能が働いておらず、出世したいがために国や権力者に都合のよい判決ばかり出している裁判官が目立つという批判がある。そのような上ばかり見ている裁判官は「ヒラメ」のようだと「ヒラメ裁判官」と揶揄されることがある。また、裁判官は独立して判決を下すことが法に定められているものの、最高裁の意向に逆らう判決を下すと、差別的処遇を受けることなどが指摘されている。検察庁と裁判所の癒着を指摘する意見もある。』

と記述されています。

町田前最高裁判所長官が、2004年の新任裁判官の辞令交付式で、“ヒラメ裁判官を歓迎しない”と訓示したことは(朝日新聞に掲載)、有名なエピソードのようで、それほどヒラメ裁判官の存在は、社会的に認められていることだと思うのです。
ということは、最高裁判所を頂点とする裁判所の上層部は、国(行政)に有利な判決になるように、下級裁判所が裁判を導くことを期待しており、形式的に裁判を行っているだけなんじゃないかということは、明らかな事実として認識されます。
つまり、はじめから結論が決められているような国家賠償訴訟自体が形骸化していると考えるべきではないでしょうか?
すなわち、“ヒラメ裁判官”の語源を踏まえれば、ヒラメ裁判官の存在は、国家賠償訴訟の形骸化を証明していることになるのです。


何か、数学の証明問題みたいになってしまいましたが・・・・
余談ですが、裁判の立証と数学の証明問題、筋道を立てて結論付けるという意味では、この両者には極めて共通性があります。
このことについては、そのうち詳しくお話したいと思います。



(2) 最高裁判所の憲法違反
ブログの冒頭で述べた最高裁が違法な手法のよって結論付けられた仙台高裁判決を確定させたふたつ目の原因として考えられることは、最高裁が、仙台高裁判決の違法性を認識していたということが前提になるわけですが、その判決を確定させたということは、つまり、最高裁が、仙台高裁の裁判官の違法行為を黙認したということになります。
それと同時に、最も法律に厳格であるべき最高裁が、なぜ仙台高裁の裁判官の違法行為を見逃してしまったのかという疑問が生じます。
ということは、最高裁自らが、憲法14条の法の下の平等を犯していることになりませんか?



上記の(1)(2)のことからも、違法な手法によって結論付けられた仙台高裁判決を確定させてしまった原因として考えられるふたつ目の可能性についても、最高裁が責任を取るべき問題と考えられるのです。

最高裁判所って 処理能力を超えたゴミをどんどん受け入れているゴミ処分場みたいじゃない?

10/05
二審判決で、私の主張が、裁判官によりねじ曲げられて判決理由に記載されたということが、許しがたい犯罪行為であるということは、前回お話しました。

では、なぜ、最高裁判所は、違法な手法によって結論付けられた仙台高裁判決を確定させてしまったのでしょうか

二審判決には、解釈の誤りなど、上告受理申立理由書の中で訂正を求めた箇所がいくつかありましたが、特に、前回のブログでお話した行政関与の記述が完全に削除されている部分については、極めて是認できないこととして、かなりのスペースを割いて強く訂正を求めました。
ですから、最高裁が、上告受理申立理由書に、ひととおり目を通しているのなら、その違法性に気がつくはずだと思うのですが・・・・・


その原因は、 『最高裁判所は 本当に裁判資料を読んでいるの? ~裁判の不思議~ 』 でもお話しているように、次のふたつのことが可能性として考えられます。

 最高裁が、裁判資料を読んでいないので、仙台高裁判決の違法性に気がつかなかった。
 最高裁が、仙台高裁判決の違法性を認識していたが、最高裁もまた行政よりの偏った判断を
   支持し、仙台高裁判決の見直しをしなかった。


今回は、①のケースについて考えてみたいと思います。

最高裁に上告される事件は、年間数千件、特に、民事事件は年間約三千件と、20年前の3倍だそうです( 『ドキュメント裁判官』 読売新聞社社会部著 中公新書 参照)。
これらの事件数と、その処理に当たる裁判官・調査官の数の不均衡を考慮すると、すべての事件を適正に処理することは物理的に不可能であると考えるのが妥当だと思うのです。


この状況って、例えば、処理能力を超えた大量のゴミを、どんどん受け入れているゴミ処分場みたいなものじゃないでしょうか
こんなことを言うと、「神聖なる私の裁判を、ゴミに例えるとは、けしからん」と、怒っている方もいらっしゃるかも知れませんが、中身を例えているのではなくて、状況を例えているわけなので、ご了承ください。


つまり、一部については適正に処理されているけれど、処理能力を超えた部分については、ためておくわけにもいかず、結局、不適切に処理されてしまうということです。

それにしても、なぜ、このような状況が、改善されることもなく漫然と続けられているのかが、私には、とても不思議でなりませんが・・・


私の裁判の話に戻りますが、
最高裁の調書(決定)には、第3小法廷の裁判官5人の氏名が記載されていましたので、形式的に、この5人を、違法な手法で結論付けられた仙台高裁判決を確定させたということで、虚偽有印公文書作成幇助などで刑事告訴したわけですが・・・・
仮に、前述のように、最高裁が処理能力を超えた数の事件を取り扱わなければならないために、裁判資料をろくに読んでいないことが原因であるならば、裁判官個人の問題というよりは、最高裁のシステムそのものに問題があることになり、それに乗っかっているだけの裁判官個人の責任は問えなくなってしまうと思うのです。

ということは、つまり、最高裁が、三審制としての機能を十分に果たしていないということになるわけで、司法を信頼し、最後の望みを託して上告する人々を欺いていることにもなるのです。
すなわち、欠陥のあるシステムを漫然と運用している最高裁の責任が問われることになります。


そうすると、検察により裁判官が起訴されたとしても、結局は、裁く側の裁判所が、「私たち(最高裁判所)が、いけなかったんです。ごめんなさい」なんてことになりかねず、とてもおかしなことになってしまいますよね。

ですから、検察の起訴・不起訴にかかわらず、最高裁が、率先して解決を図るべき問題なのです。


※ 次回は、 前述の②のケースについて考えてみたいと思います。

 ニックネームを、M Minerva にしていましたが、海外からの検索に、けっこう引っかかって
  しまうので “ろーずまりー”に変更しました。
  今後も、よろしくお願いします。


最近の記事
過去のすべての記事
お探しの記事をすみやかにご覧になりたい方は、こちらをクリックしてください。 過去のすべての記事のタイトルと冒頭の文が、ご覧いただけます。
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
ブロとも一覧
メールフォーム

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

月別アーカイブ
最近のトラックバック
今日の天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
人気ブログランキング
banner_03.gif
ブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
FC2ブログランキング
プロフィール

ろーずまりー

Author:ろーずまりー
趣味にスポーツにと、平凡な主婦の生活を送っていましたが、夫の長時間労働を労働基準監督署に相談したことをきっかけに、その生活は一転。行政の理不尽な対応に、自ら国家賠償訴訟をすることに。
理系の出身ですが、知的好奇心に駆られた私は、法律関係の勉強に、けっこうはまってしまいました。
中立性に欠ける国家賠償訴訟の実情を、より多くのみなさんに知っていただきたいと思い、ブログを開設いたしました。

QRコード
QRコード
オセロゲーム
ブロとも申請フォーム
楽天ショッピング