国家賠償訴訟

二審のインチキ判決のわけ、実は、仲間(一審の裁判官)思いの“お情け”だったの?

10日ほど前の新聞に、法科大学院(ロースクール)修了者を対象とした新司法試験の結果について掲載されていました。
こういう類の記事には、合格者を増やすことによる法曹の質の低下が懸念されるというようなことが、必ずどこかに書いてあります。


では、そうであるならば、超難関の試験に合格し、すでに法曹として活躍されていらっしゃる方々は、みなさん質が高いのでしょうか?

これについては、私は、大きなクエスチョンマークをつけなければなりません。

大多数の方々は、優秀でいらっしゃることを信じたいとは思いますが、少なくとも、私の二審判決をお書きになった方々は、クエスチョンマークの該当者になってしまいます。

根拠を挙げるならば、
私の二審判決では、事件を一方向から検証しただけで安易に結論付けているのですが、それは、一見正しそうな理屈に思われるのですが、別の角度から検証したときには矛盾だらけなのです。
どうも、物事を多面的に捉え、あらゆる方向から矛盾がないように論理的に結論を導き出すことが苦手なようですね。


また、以前お話したように、接続詞の使い方がおかしかったり、前後の文脈と論旨が合っていない部分があったり・・・・
これらは、ほんの些細なことなので、もしかしたら、判決を書いた裁判官のケアレスミスだったのかもしれませんが、合議体のほかの裁判官の誰も、そのことに気がつかなかったということは、いったいどういうことなのでしょう。


このような私の批判に対し、仙台高裁の裁判官が、
「何をおっしゃるの。
私たちは、判決理由が矛盾していることも、接続詞の使い方がおかしいことも、ちゃんとわかっていましたよ。
でも、私たちの将来のために、国を勝たせたかったから仕方がなかったのよ。」

なんて、心の中で思っているとすれば、裁判官としての資質が問われる前に、人間としての資質が疑われますよね。
何たって、自分たちの出世のためなら、“他人の裁判なんてどうでもよい。” “被害者の生活や人生なんてどうでもよい。”ということになり、エゴむき出しということになるわけですから。

いずれにしても、裁判官としての資質には、?がつきますね。

ただ、同情するところ(裁判の用語では、“酌量の余地”なんて言いますよね。)があるとすれば、仲間(一審の裁判官)思いの温情あふれる裁判官ということにでもなりますでしょうか?

たとえば、仙台高裁の裁判官が、福島地裁いわき支部の裁判官に対して、
「一審判決の証拠採用や判決理由のことですが、ずいぶんと無理を通されて頑張りましたね。
きっと、ご自身の将来のことを考え、そうされたんでしょうね。そのお気持ち、よくわかりますよ。
でも、控訴人が、具体的な根拠を挙げて反論していますので、あなた方が一審で採用された証拠や判決理由は、二審では、ほとんど使い物になりません。
それで、もし、私たちが、一審判決を覆したとしたなら、、あなた方の頑張りも水の泡ですし、お立場もなくなりますよね。おまけに、私たちの将来にも影響を及ぼしかねませんし・・・・
それで、この際、あなた方のために、一肌脱ぎましょう。
ラッキーなことに、控訴人は素人の本人訴訟ですし、私たちに任せてください。」

などという気持ちを抱き、例のインチキ判決を書くに至ったんじゃないかなんて、私は、ついつい思いを巡らせてしてしまいますが・・・・


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4 道路の税金6(2008/09/23)

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